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記事全文を読む→広島・黒田博樹「不屈の野球道」(3)プロ入り後、活躍するまでに時間がかかった
黒田は大学時代に150キロの球速をマークし、一部で注目されるようになってはいたが、大学日本代表に選ばれることもなかった。黒田は著書「決めて断つ」の中で、プロ入り前の心境をこう述懐している。
〈当時は逆指名制度があったので、大学生でも実力があれば球団を選ぶことができた。けれど自身にそこまでの実力が身に付いているとは到底思わなかった。僕としては逆指名なんておこがましく、プロに入れてもらって、入ってからなんぼの世界だと思っていたから、どの球団だって関係なかった〉
大学時代は無名に近い存在だった黒田だが、いち早く目をつけていたのが広島の苑田聡彦スカウト(現・スカウト統括部長)である。広島から遠征し、神奈川県伊勢原にあるグラウンドにたびたび足を運んでいたという。苑田スカウトの熱意にほだされ、恩義を感じた黒田は、96年のドラフトで広島を逆指名(ドラフト2位)。プロ野球選手としての第一歩を踏み出した。
「97年1月にドミニカのカープアカデミーに自主トレに行ったんですよ。当時、僕は広島の正捕手だったんですけど、球団からは『(黒田と同期入団で逆指名のドラフト1位だった)澤崎(俊和)のボールを受けて来い』と言われてね。他にも若いピッチャーが参加したけど、そこに黒田の姿はなかった。澤崎のほうが明らかに、将来のエースとして期待されていました」(西山氏)
同年2月のキャンプでは1軍に呼ばれた黒田だったが、オープン戦が始まると2軍落ち。そこで、さらに黒田はプロの厳しさを痛感する。由宇球場で行われた中日との練習試合での出来事だ。当時、広島の2軍監督を務めていた安仁屋宗八氏が振り返る。
「確か、黒田は次の日が大学の卒業式で、チームから離れることになっていたんです。そこで中継ぎ登板させたら、メッタ打ちされた。2点、3点と失点するたびに、不安気にベンチをチラチラ見るんですよ。でも、僕は自分でまいた種は自分で刈り取れというタイプだから、結局、1イニングで10失点したけど、3アウトを取るまで交代させなかった。ベンチに戻って来た黒田は顔面蒼白になって茫然としていたね」
メンタル面でまだ課題を残し、発展途上だったという。それでもシーズンが開幕すると、ルーキーながら1軍で先発ローテーションを任され、6勝をあげた。ただし2年目はわずか1勝に終わっている。3年目も5勝8敗、防御率は6点台だった。逆指名入団だけに、首脳陣は即戦力として期待していただろうが、その期待を裏切り続けたのだ。
「僕が出すサインに嫌そうな顔をする若い投手もいたけど、黒田はサインどおりに投げてきました。年上の僕に遠慮していると感じることもあった。だから、監督や投手コーチに『黒田は僕と組むと萎縮するんで、他のキャッチャーを使ったほうがいいですよ』と進言したこともあったほどです」(西山氏)
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