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記事全文を読む→長嶋と松井“4番の遺伝子”継承までの21年間「長嶋監督勇退に涙を見せた」
野球界でも、屈指の師弟関係が誕生したのは、92年のドラフトだった。
「残り物には福がある」ということわざがあるが、まさにそれを体現したのが、長嶋だった。
甲子園での活躍を受け、ナンバーワンスラッガーとして「将来の4番候補」の座が約束されていた星稜高校の松井に対して、中日、ダイエー(現ソフトバンク)、阪神、巨人がドラフト1位で競合。くじの順番は、巨人が残りくじを引くことになっていた。くじを引いたのは、他ならぬ当時の長嶋監督だった。その結果、2人は運命的な出会いを果たす。
そして、誰よりも入団1年目から、松井に目をかけ見守り続けたのが、長嶋だった。
「ジャイアンツで長嶋監督に出会い、毎日のように2人で指導していただき、その日々が、その後の僕の野球人生にとって本当に大きな礎になったと思っています。長嶋監督には感謝しても尽くせない気持ちでいっぱいです」
松井の引退会見でも、本人の口から長嶋監督の名が何度も出ている。
長嶋は松井を評して、「現在における最高の本塁打者だ」と語った。一方の松井も「(現役)20年間の最も印象に残るシーンは?」と尋ねられると、「長嶋監督と2人で素振りをした時間です」と答えた。
それほど2人は濃厚な時間を過ごしてきたのだ。
松井自身、現役時代にはめったに人前で、涙を見せたことはなかった。ただ、一度だけ人前で見せた涙は長嶋監督が勇退した01年9月30日、横浜との最終戦でのことだった。
松井が、FAを使ってヤンキース移籍を決めたのはその1年後だった。巨人にとっては大損失。だが、長嶋は松井に対して、「ジョー・ディマジオを目指してやって来い」と背中を押したのだ。
松井はこの言葉をはっきりと覚えている。
「ヤンキースというのはほとんどイメージがなかった。だけど、(長嶋が尊敬していた)ジョー・ディマジオというのが妙に頭にあって、99年に日本シリーズに出られなかった時に、時間があったので、ディマジオがいたヤンキースの試合を見てみようと思った。それによって自分の運命が大きく変わっていったと思う」
長嶋自身も「2人でいる時間がいちばん長かったのは松井」と語っているが、松井のほうも自分の運命を決めたのは、いつも長嶋の言葉だったと感じているのだ。
スポーツライター 永谷脩
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