日本とモンゴルの外交問題に発展したモンゴル草原火災に、元横綱・朝青龍ことドルゴルスレン・ダグワドルジ氏が「物言い」をつけた。火災が起きたのは10月8日。モンゴル東部ドルノド県のヌムルグ自然保護区で規模な草原火災が発生し、東京都の約2.4倍に...
記事全文を読む→テリー伊藤対談「半井小絵」(2)NHK時代はツラかった?
テリー だけど気象予報士になったからといって、食べていける保障はなかったわけでしょう。
半井 はい。両親に転職したいという話をしましたら、正座をさせられまして。「本当にあなたは、転職したあと1人で生きていけるのか」と一晩中説得されましたね。「それでもやりたい」と言ったら、しぶしぶOKということで。そこで後押ししてくれたのが祖母だったんですね。
テリー どんなふうに応援してくれたの?
半井 祖母は昭和9年の室戸台風の時に小学校5年生だったんですが、校舎の下敷きになったんです。それでお友達21名が亡くなったんです。そんなふうに、自然災害の恐ろしさを身をもって経験していますので、天気を読むお仕事の大切さを理解してくれて、両親を説得してくれました。それで東京に出てきたんです。
テリー NHKのお天気お姉さんになったのはどういう経緯だったんですか。
半井 気象会社に転職したのが2001年6月で、しばらく天気図を描いたり、ラジオのアナウンサーが読む原稿を書いたりしていたんですね。そのあとに「オーディションを受けてみないか」と言われて、受けたら合格をいただいたんです。
テリー なるほど、オーディションがあるんだ。
半井 だから、テレビの世界は何もわからず、気象予報士としても技術がまだまだ未熟なところから飛び込みました。
テリー 厳しかったお母さんも、泣いて喜んだんじゃない?
半井 ああ、そうですね。親孝行ができたと思いました。契約は1年ごとの更新だったんですが、だんだんとツラいと感じたこともありましたね。
テリー そうだったんだ。
半井 夜7時半前のたった2分のものなんですが、お昼から行って、自分で天気図などの資料を見てポイントをしぼって、画面はどうするかとか、VTRのどの部分を使うとか、そういうことまで全て自分でやらなきゃいけない世界だったので。
テリー 用意されたものを読むんじゃなくて、自分で責任のある原稿を作ると。
半井 今振り返ると、本当に貴重な時間でした。でも当時は、6年目くらいから自分の中では「ツラいなぁ」と感じていましたね。ぜいたくな悩みだったなと、今は反省しています。あんなありがたい時期はなかったんだなと。
テリー あの2分の間に、大人気になったもんねえ。顔が売れて、大変なこととかもあった?
半井 それはあまりなかったですね。渋谷の周りを歩いているとさすがに気づかれるんですが、他ではあんまり気づかれないので、普通に歩いてました(笑)。
テリー NHKは何年やったんだっけ?
半井 9年です。
テリー やめてからは、何年?
半井 4年目です。いきなり私の周りで、突然嵐になったような事件があって、お仕事が減ったんですけど、周りで支えてくださる方がいて、今もおかげさまで何とかやってます。
テリー それはどのくらいで立ち直ったの?
半井 やっぱり1年、2年ぐらいはツラい中にありましたけど、だんだん、一つ一つ小さな喜びを見つけていくと同時に、幸せ度数が上がっていきましたね。そして、ここでもう1回名前を知っていただいて、幅広く活動していきたいなと思って、写真集を出させていただきました。
アサ芸チョイス
「本格復帰に向けた観測気球を兼ねているのでしょう」こう話すのはさる芸能ジャーナリストだ。10月26日に開催された東京国際映画祭のレッドカーペット。雨が降りしきる会場で報道陣や観客の目をひと際引いたのが、女優の永野芽郁である。主演とプロデュー...
記事全文を読む→今年のお笑い賞レースは10月17日に「キングオブコント」が終わり、あとは11月1日の「NHK新人お笑い大賞」、そして12月の「M-1グランプリ」を残すのみ。賞レース番組では審査員の採点、コメントが大きくクローズアップされるが、その責任の重さ...
記事全文を読む→前巨人2軍監督・桑田真澄氏の次男でタレントのMattから「性被害を受けた」として、一昨年から今年にかけて、警視庁に複数の被害届が提出されていたと「週刊文春」が報じている。それによると、1人目の被害者は今年1月、都内でMattと美容系インフル...
記事全文を読む→

