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プロ野球「オンオフ秘録遺産」90年〈3打席連続本塁打の投手がノーヒットノーラン達成〉

 プロ2年目、19歳の右腕がノーヒットノーランを達成し、しかも史上初となる、投手の3打席連続本塁打というウルトラ快挙を成し遂げた。

 1967年10月10日、後楽園球場での巨人対広島22回戦、巨人がV3を決めた3日後だった。

広 0 0 0 0 0 0 0 0 0=0

巨 1 3 1 1 1 2 2 0 ×=11

 ヒーローの堀内恒夫は五色のテープが乱れ飛ぶ中、笑いながら一塁ベンチに帰ってきた。

 ノーヒットノーランについては「いや、まだピンとこないですね。もう少し時間が経てば‥‥」と控え目に口を開いた。3打席連続本塁打についてはすぐ「まぐれですよ」と返したが、これは照れ隠しだ。

 この日、先発のマウンドに上がった堀内は、ピッチングのことよりもバッティングのことばかり考えていたという。

 実は前日の9日、広島戦先発に備えて多摩川で打撃練習をしていた。「黒バット」で知られた二軍打撃コーチの南村侑広が、打撃フォームに関するアドバイスを送った。

「もっとリラックスした方がいい」

 堀内は高校時代を思い出した。甲府商時代は通算38本塁打を放ち、2試合で4打席連続本塁打の記録も持っている。もともと打撃には自信があった。

「もしかしたら‥‥」

 この予感が大当たりした。

 1本目は2回、宮本洋二郎の真っすぐを捉えた。打球は左翼席中段まで伸びる2号ソロとなった。これがワンマンショーの序曲となった。2本目は4回、西川克弘から左翼ポール際へ3号ソロを叩き込んだ。

 注目は、3打席連続本塁打なるかどうかである。6回にその打席が回ってきた。

 マウンドに立っていたのは西本明和(元巨人・西本聖の実兄)、速球をハッシと叩いた。左翼中段への4号2ランだ。

「ダイヤモンドを3回も回る気分は、雲の上を走っているようで最高だった」

 投手の1試合3本塁打は巨人・川崎徳次が49年に記録して以来となったが、3打席連続は初めてだった。いまだにこの記録は破られていない。唯一無二だ。

 堀内は4打席目も本塁打を狙った。さすがにサク越えはならなかったが、中前へ適時打を放った。4打数4安打5打点だ。

 本業のピッチングは、プレーボールからまともにストライクが入らなかった。2四球を出して走者を背負った。初回はなんとか無失点で切り抜けたものの、27球を要した。前途多難だった。

 しかし、尻上がりに調子を上げた。スピードが次第に乗った。球威もあった。おまけにカーブが適当に荒れた。5回以降はすべて三者凡退だった。

 巨人ベンチが7回頃からワイワイし始めた。9回、マウンドに向かう際にふと思った。

「待てよ‥‥、打たれてないな」

 スコアブックを付けていた渡辺秀武に聞いた。

「何を言っているんだ。お前、まだノーヒットだぞ」

 3本塁打を放って、投手としての大記録をどこかに置き忘れていたのだ。

 9回、阿南準郎を投ゴロ、山本一義を捕邪飛に仕留めて2死、最後の打者は4番の藤井弘だ。

 カウントが3-0となり、ベンチの指示は「歩かせろ」だった。しかし19歳はクビをタテに振らなかった。これを無視して2ストライクを取った。

 最後の117球目はシュートだった。藤井がはじき返した打球はハーフライナーで左中間を襲った。

 堀内は一瞬、「やられた!」と覚悟したが、左翼の相羽欣厚があらかじめ左中間で守っており、見事にスライディングキャッチしたのだった。

「打たれるような気がしなかった。スピードが出てきたし、打ち取る自信があった。最高の感激です。プロ入り初白星を挙げた時みたいにジーンときた」

 堀内は山梨県・甲府商から65年11月17日に開催された「第1回新人選手選択会議」で巨人から1位指名された。

 3歳時、右手の人差し指をケガし、それがボールに独特の変化を生み出したのは有名なエピソードだ。

 高校時代はエースで4番を打ったが、甲子園出場は1年夏に外野手として出場しただけだった。

 巨人が投打にわたる類まれな野球センスを高く評価した。66年、入団当初は投手と遊撃の掛け持ちだった。広岡達朗の後釜として期待されていた。

 中学では遊撃を守り、高校1年途中から監督に言われて投手になっていた。

 だが、堀内は中尾碩志二軍監督に「投げてみてダメなら野手でも何でもやりますから、とりあえず投手でやらせてください」と直訴した。

 開幕6戦目の中日戦(中日球場)で初先発初勝利を挙げると、13連勝(セ・リーグ記録)を含む16勝と獅子奮迅の活躍を見せた。最優秀防御率の堀内は、沢村賞と新人王をダブル受賞した。

 プロ2年目で快挙を達成した試合は、実は日本シリーズに向けた調整だった。この年、腰痛で前半戦を棒に振っていた。

 だが後半戦に入ると、8連勝するなど12勝を挙げた。背番号は「21」からエースナンバー「18」に変わっている。

 現役時代は奔放な言動から「悪太郎」「甲府の小天狗」と呼ばれた。プロ18年間で203勝(139敗)をマークして巨人のV9をけん引した。

 73年、南海(現ソフトバンク)との日本シリーズ第3戦では2本塁打を放っており、日本シリーズでの投手の1試合複数本塁打もこれまた史上唯一だ。

 83年、引退試合となった大洋戦(現DeNA)でも、8回裏の現役最終打席で本塁打を放った。通算21本塁打目だった。

(敬称略)

猪狩雷太(いかり・らいた)スポーツライター。スポーツ紙のプロ野球担当記者、デスクなどを通して約40年、取材と執筆に携わる。野球界の裏側を描いた著書あり。

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