スポーツ

二宮清純の「“平成・令和”スポーツ名勝負」〈敗北が「神からのプレゼント」〉

長谷川穂積 VS フェルナンド・モンティエル」WBC世界バンタム級タイトルマッチ・2010年4月30日

 世界3階級制覇王者(第26代WBC世界バンタム級、第42代WBC世界フェザー級、第31代WBC世界スーパーバンタム級)の長谷川穂積は、記者泣かせのボクサーだった。

 多彩なパンチをノーモーションで繰り出すため、目を凝らしていても、フィニッシュブローが見えにくいのだ。

「自分のパンチだけ当たって、相手のパンチが当たらないゾーンがある。〝神の距離感〞というものがあるとすれば、きっとそのことなんでしょうね」

 いつだったか、彼はそう語っていた。

 距離感とは、ボクサーにとって、最も重要な資質である。それはパワーやスピード、スタミナ、打たれ強さに勝るとも劣らないものだ。大胆に言い切ってしまえば、ボクシングとは互いの距離感を競うコンテストである。

 神の距離感を持つ男が、不覚を取った試合がある。

 2010年4月30日、東京・日本武道館で行なわれたフェルナンド・モンティエル(メキシコ)戦だ。

 この試合はWBC世界バンタム級王者の長谷川にとって11度目の防衛戦。モンティエルもWBO世界同級王者ながら、当時、WBOはJBC(日本ボクシングコミッション)が公認していなかったため、モンティエルが長谷川の持つベルトに挑戦するかたちとなった。

 序盤は長谷川のペースだった。3ラウンドまでは3人のジャッジ全員が長谷川を支持していた。

 そして迎えた4ラウンド。残り10秒を切ったところで舞台は暗転する。

 油断したわけではあるまいが、モンティエルの左フックをくらってぐらつき、ロープ際で連打を浴びた。

 たたみかけるモンティエル。本来、接近戦は神の距離感を持つ長谷川にとって、最も得意とするところだ。

 ところが、である。ロープに押し込まれた際、腕がロープにからまり脱出が遅れてしまった。

 2分59秒、TKO負け。長谷川は5年以上保持していたベルトを失った。

 後日、本人に聞くと、1ラウンドにアゴにくらった左フックが、思いのほか尾を引いたという。

「ちょうど1カ月前に親知らずを抜いた箇所でした。くらった瞬間、激痛が走りました」

 もちろん、相手はそんなこと知る由もない。

 腕がロープにからまったことといい、親知らずを抜いた箇所にパンチが命中したことといい、運が悪いにも程がある。

 しかし、後日、本人から返ってきた言葉は、意外なものだった。

「あの試合は神様からのプレゼントだと思っています」

––負けた試合が?

「そうです。あそこでストップされていなかったら、もっと長く戦っていたかもしれない。10ラウンドまでやっていたら粉砕骨折していた可能性すらある」

 試合前、長谷川は医師から母親の寿命が「あと1カ月」しかないことを告げられていた。

「もし、あそこで僕が勝っていたらラスベガス進出が決まっていた。そうなると母親の看病もできなかった。負けたことによって、母親と過ごす時間が増えたんですから、よしとしなきゃ‥‥」

 この7カ月後、長谷川は、ファン・カルロス・ブルゴス(メキシコ)を判定で破り、WBC世界フェザー級のベルトを手に入れるのである。

二宮清純(にのみや・せいじゅん)1960年、愛媛県生まれ。フリーのスポーツジャーナリストとしてオリンピック、サッカーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。最新刊に「森保一の決める技法」。

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