1982年2月7日、ホテルニューオータニにおけるジャイアント馬場とアントニオ猪木&新間寿(新日本プロレス取締役営業本部長)の会談によって、全日本プロレスと新日本の停戦が極秘裏で成立した後、両団体の関係は良好だった。同年4月21日には馬場─新...
記事全文を読む→ジャイアント馬場
1982年早々に、新日本プロレスvs全日本プロレスの仁義なき引き抜き戦争は決着がついた。2月4日の東京体育館におけるジャイアント馬場vsスタン・ハンセンが1月28日の同会場でのアントニオ猪木vsアブドーラ・ザ・ブッチャーに試合内容、観客動員...
記事全文を読む→1982年新春シリーズは、新日本プロレスと全日本プロレスにとって、前年81年の引き抜き戦争の成果を競う舞台になった。前年12月にスタン・ハンセンを引き抜いた全日本は、早々に2月4日の東京体育館におけるジャイアント馬場とスタン・ハンセンのPW...
記事全文を読む→「猪木さんが亡くなった日に、あえて馬場さんとの秘話をもってくるとは、関根さんらしい追悼ですね」(芸能関係者)元プロレスラーのアントニオ猪木さんが亡くなった10月1日、お笑タレント・関根勤が、自身のYouTubeチャンネル〈関根勤チャンネル〉...
記事全文を読む→長年にわたってプロレスを取材してきたベテラン記者・小佐野景浩氏と、4月27日に初の著書「プロレスラー」を上梓したカメラマン山内猛氏のスペシャル対談が実現。アントニオ猪木、ジャイアント馬場という昭和のトップレスラーから現在のプロレスまでを見続...
記事全文を読む→アントニオ猪木氏とともに、プロレス界の一時代を築いた、元プロレスラー・ジャイアント馬場氏(1999年1月31日に肝不全で他界)の得意技と言えば、相手をロープに振った際に、その反動を利用したカウンターキック「16文キック」だろう。他にも、「脳...
記事全文を読む→「格闘王」の異名も取った元プロレスラーの前田日明氏のYouTubeチャンネル〈前田日明チャンネル〉に、西武ライオンズや巨人で活躍した元プロ野球選手・大久保博元氏が出演。プロレス界と野球界のお金事情についてトークを展開したところ、「“日本人の...
記事全文を読む→テリーよく聞かれる話だとは思いますけれど、今後リングに復帰する意志はまったくないんですか。小橋自分の中ではケジメがついていますから。やりきって引退したので、復帰は120%ないです。そもそも、リングに上がって皆さんを満足させられるパフォーマン...
記事全文を読む→プロレスラーに酒豪は多いが、日本人で「最強」といわれるのは、やはり天龍源一郎だろう。「とにかく酒に強く、飲み比べをした藤原喜明もギブアップしたほど。また、全日本プロレス時代、試合のあとは記者たちを引き連れて夜の街に繰り出しての大宴会というの...
記事全文を読む→成田さんはもともと東映じゃないから、萬屋さんとコミュニケーションが取れてなかったんだな。それ聞いたら、今度は萬屋さんの奥さんの淡路恵子さんが、「何、この成り上がり者!」って怒って、萬屋さんも暴れだしちゃって。あんまり酒癖よくねーんだよ、あの...
記事全文を読む→テリーFMWの全盛期はスタジアムも満員になって、チケットも入手困難。当時は、すごい収入だったんじゃないですか。大仁田年間17億円稼いだ時もあったんですが、意外と儲からなかったです。テリーええっ、そりゃまたなんで?大仁田全日本、新日本はバック...
記事全文を読む→63年、不世出のスーパースター・力道山(享年39)が急逝。以降、プロレス界を牽引したのは愛弟子である、ジャイアント馬場(享年61)とアントニオ猪木(73)だった。日本プロレス時代から2人を知り、たもとを分かってからも近くで見続けた、現新日本...
記事全文を読む→敗戦後の日本人を勇気づけたのが「プロレス」である。人々は街頭テレビに熱狂し、力道山の空手チョップに声援を送った。そしてジャイアント馬場、アントニオ猪木と続く繁栄の裏面史を、最年長レスラー、グレート小鹿が証言する。── 日本プロレスに入門され...
記事全文を読む→戦後最大の英雄だった力道山は63年12月15日、ヤクザに刺された傷がもとで、39年の生涯を終える。現役最古参のプロレス記者・門馬忠雄氏が、当時の緊迫した様子を再現告白する。当時、「東京スポーツ」のボクシング担当だった私は社で原稿を書いている...
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