ドラフトにまつわる事件において忘れてはならないのが、「球界の寝業師」の異名を取った根本陸夫氏の奇想天外な手法である。西武・管理部長時代の86年ドラフトで、森山良二を単独1位指名した一件は、球界に衝撃を与えた。スポーツ紙デスクが当時を振り返る...
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早稲田実業のエースとして甲子園で大ちゃんフィーバーを起こした荒木大輔は、根っからの巨人ファン。「巨人なら(プロに)行きたい。そうでなければ早稲田大に進学」と公言していた。スポーツ紙デスクが明かす。「本当に巨人以外を拒否していました。荒木獲得...
記事全文を読む→プロ入りの夢がかない、満面の笑顔。あるいは意中の球団には指名されず、表情を曇らせる。今年もまた、悲喜こもごもが渦巻くドラフト会議を迎え、水面下での駆け引きが展開。だが過去の歴史を振り返れば、その舞台裏では、決して公にはできない「黒い事件」が...
記事全文を読む→希望球団への入団を巡っては、痛ましい事件も発生した。98年のドラフトでオリックスに1位指名されたヤクルト・新垣渚(34)は、「ダイエー以外なら進学」と発言。挨拶を門前払いされるなど、説得に失敗したオリックス・三輪田勝利編成部長(当時)は追い...
記事全文を読む→ドラフトには「裏工作活動」のために暗躍するさまざまな人物が登場する。最も有名なのは、「球界の寝業師」の異名で豪腕を発揮し、畏怖の念を集めた根本陸夫氏(故人)である。西武監督時代に球団管理部長も兼任した(その後、GM専任)根本氏は、80年のド...
記事全文を読む→「KK事件」に勝るとも劣らない大騒動となった、江川卓氏(59)を巡る、いわゆる「空白の一日」。作新学院から大学進学を希望していた江川氏に対し、73年のドラフトで阪急が1位で強行指名したところから、コトは始まった。江川氏は入団を拒否して、予定...
記事全文を読む→第1回ドラフト会議が開かれた1965年から、今年は記念すべき50年目を迎えた。リスト提出方式、逆指名、希望枠など度重なる制度変更とともに、数々の大騒動、事件も勃発。長いドラフトの歴史はすなわち、そうしたトラブル史とも言えるのだ。今だから明か...
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