豊臣秀吉

社会
Posted on 2024年10月18日 09:58

「日本の歴史を変えたんじゃないか。とんでもない力、ご利益が善光寺にはある」YouTubeチャンネル〈島田秀平のお開運巡り〉で力強く断言するのは、手相占い師でタレントの島田秀平である。パワースポットとして知られる長野県長野市に鎮座する善光寺の...

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社会
Posted on 2024年05月19日 17:59

天下人・豊臣秀吉に耳鼻をそがれた姿で殺された茶人がいる。山上宗二(やまのうえ・そうじ)である。わび茶の完成者で、茶聖ともいわれた千利休は豊臣秀吉の寵愛を受けていたが、天正19年(1591年)、突如として秀吉の逆鱗に触れ、聚楽屋敷内で切腹を命...

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Posted on 2023年06月11日 17:58

これは理由なき殺人なのか──。幕末から大正時代にかけて、豊臣秀吉にあやかり「秀吉」と名乗っていた芸妓がいる。川口松太郎の小説「明治一代女」のモデルとなった、花井お梅だ。本名はムメという。この「明治一代女」はのちに脚色され、1935年(昭和1...

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Posted on 2023年03月03日 05:59

慶長二十年(1615年)に起きた大坂夏の陣後、斬首された豊臣秀吉の孫が生き延びた、という話がある。豊臣秀頼の庶子・国松だ。国松は秀頼と側室・伊茶の間に生まれた。だが、正室・千姫に気を使った秀頼が手元では養育せず、生後すぐ伯母・常高院の若狭京...

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Posted on 2023年01月29日 09:55

今川方から独立した家康は、対立していた織田信長と和睦して同盟関係を結ぶ。これ以後、信長が死ぬまで同盟関係が続くことになる。桐畑トール氏は、信長との同盟はかなりヘンな同盟だと解説する。「信長との同盟(清洲同盟)と言ってますけど、対等な同盟なん...

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社会
Posted on 2022年11月27日 17:58

血は水より濃くはなかったのか。豊臣秀吉の親戚にもかかわらず、慶長十九年(1614年)、同二十年(1615年)に起きた大阪冬、夏陣では徳川側の東軍についた武将がいる。のちに丹波園部藩の初代藩主となった、小出吉親だ。吉親は天正十八年(1590年...

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社会
Posted on 2022年11月13日 17:58

敵将・毛利輝元に人質として差し出されながら気に入られ、その姓まで賜った──。安土桃山時代から江戸前期にかけて活躍した武将が、毛利高政だ。キリスト教を信仰して日本から追放された高山右近らと同じキリシタン大名だったが、信仰と棄教を繰り返したため...

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社会
Posted on 2022年11月07日 09:59

生きた妊婦の腹を引き裂くなど悪逆非道を尽くし「殺生関白」と呼ばれたのが、豊臣秀吉の甥・豊臣秀次である。宮部継潤、通称・善祥坊という武将、大名は一時、秀次の養父だった。室町時代末期から安土桃山時代にかけて活躍した継潤は近江・浅井郡宮部村の小豪...

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社会
Posted on 2022年10月10日 17:59

渡辺勘兵衛という人物がいる。石田三成の配下の渡辺勘兵衛とは別人で「槍の勘兵衛」と呼ばれた武将だ。通称が勘兵衛で、渡辺了という。この渡辺勘兵衛は、転職4回の経歴を持っている。最近の若者は終身雇用を考えず、キャリアを積み、より高い地位、給料を求...

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社会
Posted on 2020年05月25日 17:58

新型コロナウイルス対策で、「都道府県をまたいでの移動を控えるべし」と、お上からのお触れが出され、我々領民はいつ終わるともしれない「ステイホーム」の籠城戦を強いられてきた。各藩藩主(都道府県首長)の対応も様々だが、それぞれに、お国柄も見て取れ...

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芸能
Posted on 2018年10月03日 05:57

戦国時代において「世継ぎ」はしばしば内乱の火種となった。そして現代。芸能界の覇権を握るジャニーズ帝国に「後継者問題」が勃発、予断を許さない緊急事態となった。歴史をひもとけば未来が見える!!“ジャニー信長”の後釜に座るのは“タッキー秀吉”か、...

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芸能
Posted on 2018年09月25日 05:59

「ずっと自分を育ててくれたジャニー社長のタレントを育成、プロデュースしていくという意思を継ぎ、ジャニーズJr.の育成や舞台、コンサート等のエンターテイメントをプロデュースする仕事に専念することを決意致しました」9月13日にこんな声明とともに...

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社会
Posted on 2018年05月17日 09:55

豊臣秀吉(1537~1598)は、権力を掌中にしてから日本史上に残る漁色家の顔を見せ始める。その生活を維持するために食していたのがこれだ!織田信長存命の時代、1563年に来日したイエズス会のポルトガル人宣教師ルイス・フロイスは、著書「日本史...

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社会
Posted on 2017年12月05日 17:55

「首刎(は)ねらるる期(とき)までも命を惜しむは、本意を達せんがため」(石田三成)秀吉に重用され豊臣家臣団一の実力者だった石田三成が、関ヶ原の戦いで敗北し捕虜となった時、なぜ自害せずに捕虜となったのか、と罵倒されて答えたのがこの言葉だ。みず...

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