「カトマンズに飛ばされて 旅嫌いな僕のアジア10カ国激闘日記」古館佑太郎/1980円・幻冬舎アナウンサー・古舘伊知郎氏の長男で、ロックバンドのボーカルとして歌手デビュー後、俳優としても活躍している古舘佑太郎。昨年2月にバンドを解散すると、大...
記事全文を読む→週刊アサヒ芸能 2025年 6/19号
一塁走者・長嶋茂雄が二塁に突っ走った。三塁走者・王貞治が、捕手から二塁への送球の行方を確認した。そして─。1961年5月18日、後楽園球場での国鉄(現ヤクルト)対巨人の8回戦、21歳の王が1試合で二盗、三盗、そして本盗の3盗塁に成功した。翌...
記事全文を読む→80年10月20日、広島市民球場での最終戦、巨人はAクラスの3位を確保したが、2リーグ体制発足後としては初めて3年連続で優勝を逃した責任を取らされ、翌日、長嶋監督は突然の解任となる。「最終戦、江川さんが先発して7回まで投げて僕は8回、9回と...
記事全文を読む→78年、大洋ホエールズの主砲・シピンが巨人に移籍する。それにより背番号が「11」から「45」に変更となったのが角盈男氏。クラブハウスに呼ばれて長嶋からはこう伝えられたという。「『悪いけど11をシピンに譲ってくれ。空いてる番号は45しかない。...
記事全文を読む→80年の“解任”から93年の監督復帰まで、ミスターの活躍の舞台は野球解説などの球界だけにとどまらなかった。その唯一無二の天心爛漫なキャラクターを生かし、テレビ出演やビッグイベントのアンバサダーなど、マルチタレントとして引っ張りだこに。テレビ...
記事全文を読む→数々のミスター伝説の中でも幾度となく語られるのが、79年に静岡・伊東市で行われた秋季キャンプ、通称「地獄の伊東キャンプ」だ。想像を絶する過酷なトレーニングに耐えた角盈男氏が回顧する。「投手だと午前中は投げるだけ、午後は走るだけ。野手の場合は...
記事全文を読む→野村はまさに記録の人である。現役通算3017試合出場、通算打率2割7分7厘、2901安打、657本塁打を歴史に刻んだ。54年にテスト生として京都・峰山高から南海に入団。一度は解雇を言い渡されるが、粘り腰で契約延長を勝ち取った。筒井敬三、松井...
記事全文を読む→近年は主力選手の相次ぐ他球団流出で、苦戦を強いられてきた西武ライオンズ。ところが新監督が就任した今季は一味違う。昨年は借金15で迎えた交流戦にも、貯金4で突入したのである。借金45という歴史的惨敗の最下位からV字回復を目指す今季の西武。現時...
記事全文を読む→長嶋はよく「記録よりも記憶の人」と称されるが、実際は記録も凄い。それが霞んで見えるのは、王の記録がそれに輪をかけて凄すぎるからだ。王が入団した59年から長嶋が引退した74年までの16年間、セ・リーグ打撃タイトルを2人でほぼ独占している。「首...
記事全文を読む→長嶋茂雄の野球人生を語る上で、最上位に位置するであろう2人の名前は欠かせない。野村克也と王貞治─。ライバルであり、盟友であった存在が、スーパースターを奮い立たせ、より輝ける高みに押し上げていったのである。1958年9月1日、東京駅頭に夕闇が...
記事全文を読む→「日本 VS チェコ」WBC1次ラウンド・2023年3月11日なぜ、これが名勝負かと訝る向きも多かろう。だが、この試合がなければ、第5回WBCで、野球日本代表(侍ジャパン)が優勝を果たすことはなかったかもしれない。2023年3月11日、東京...
記事全文を読む→長嶋が伝授した奥義は、打撃だけではない。守備でもこだわりを注入した。「松井は高校時代にサードを守っていましたが、プロ入り後は強制的に外野にコンバートされました。『打球がいちばん飛んでくるのはセンター』という持論を持つ長嶋さんは、将来的に大事...
記事全文を読む→「高校通算60本塁打」「5打席連続敬遠」と騒がれた超高校級の素材は、巨人軍入りするやマンツーマンで長嶋からみっちりと鍛えられた。いわゆる「4番1000日計画」である。「長嶋さんは松井を『日本最強のバッターに育てる』という使命感に燃えていまし...
記事全文を読む→長嶋が現役引退した74年、のちにMLBで日本人初の大砲として君臨する怪童が産声を上げた。監督復帰した92年オフ、長嶋はドラフトで怪童を引き当てる。奇妙な縁で結ばれた師弟は、終生の絆で結ばれた。2人の血脈は昭和から平成、さらにはその先の未来に...
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