新日本プロレスが1月4日に開催する東京ドーム大会に、ももいろクローバーZの有安杏果が参戦することになった。有安の大ファンであるプロレスラー・邪道のリクエストに応え、時間差バトルロイヤルに参加するという。だが、肝心のプロレスファンからの反応は...
記事全文を読む→プロレス
常に全日本のトップレスラーとして君臨し続けたハンセンにとって、印象深い日本人レスラーは他にも少なくない。「四天王プロレス」を確立したのちの全日本、プロレスリング・ノアのエースとして活躍した三沢光晴からは、精神的な強さを感じていた。「(09年...
記事全文を読む→ハンセンといえば、現役時代は“ブレーキの壊れたダンプカー”とレスラー仲間からも恐れられたが、その理由は「誰にも負けたくない」という自身のプロレス哲学にあった。「現役時代には、(今年4月に)亡くなった阿修羅・原に35針も縫う大ケガを負わせてし...
記事全文を読む→プロレスブームが再燃する中、“不沈艦”スタン・ハンセンが自叙伝を上梓。発売に合わせて来日した。激戦を繰り広げた天龍源一郎は今月引退。ジャイアント馬場や三沢光晴もすでにこの世にいない。引退から15年が経過しても、その言葉からは、不屈のファイテ...
記事全文を読む→戦後最大の英雄だった力道山は63年12月15日、ヤクザに刺された傷がもとで、39年の生涯を終える。現役最古参のプロレス記者・門馬忠雄氏が、当時の緊迫した様子を再現告白する。当時、「東京スポーツ」のボクシング担当だった私は社で原稿を書いている...
記事全文を読む→先にも触れたように、長州はプロレス入りしてすぐに頭角を現したわけではない。ブレイクするまでには、2度の国外遠征を経て、8年もの月日がかかった。82年10月8日、後楽園ホールでアントニオ猪木、藤波辰巳と組んだ長州は、試合中から年下の先輩であり...
記事全文を読む→長州が新日本において「現場監督」という立場で辣腕を振るい始めた90年、破格の待遇でデビューを飾って間もない元横綱・北尾光司とトラブルが起きた。「北尾は練習嫌いで、言われてもやらなかった。長州さんはふだんから『お前、練習しろよ。ただじゃ済まね...
記事全文を読む→「本当のことを言っていいんだな」──72年、郭光雄(カクカンウン)こと吉田光雄は、レスリングの韓国代表でミュンヘン五輪に出場している。のちの長州力であるが、しかし、本人がここまで掘り下げてその苦悩や葛藤、本音を激白したのは初めてだろう。半生...
記事全文を読む→タレントのLiLiCoが、8月23日に行われるDDTプロレス両国国技館大会で、プロレスラーデビューする。プロレス関係者が言う。「きっかけはLiLiCoが通うジム仲間の同団体の選手からあれこれ聞くうちに、プロレスラーになる妄想が抑えられなくな...
記事全文を読む→── その後、全日本のリングで闘うようになってからは控え室でも殴り合うなど、すごい闘いをやりましたね。ハンセン『喧嘩ではなくビジネスだ、と理解していてもトップに立ちたい』という気持ちがあるから、時には一線を越えてしまうこともあった。当時の闘...
記事全文を読む→── 82年1月からは全日本に移籍して、今度はジャイアント馬場と闘うようになりました。ハンセン当時の私は手探りで自分を確立しようとしていた段階だったから、何も考えないで手加減もせずに馬場の巨体に思い切りぶつかっていただけだよ。それによって次...
記事全文を読む→── ハンセンさんは日本人女性と結婚しているので、日本食を食べる機会も多いと思います。すでに公になっているので、ユミ夫人との馴れ初めをお聞きしてもいいですか?ハンセンプライベートな話は苦手だが‥‥結婚したのは29年前だ。彼女の友達が私のファ...
記事全文を読む→カウボーイハットにブルロープで会場狭しと暴れ回り一世を風靡した、“不沈艦”スタン・ハンセン。ウエスタン・ラリアットを武器に、猪木、馬場はもとより、天龍源一郎、三沢光晴とも死闘を繰り広げてきたのもいまだ記憶に新しい。そんなハンセンが三沢のメモ...
記事全文を読む→思えば、6度のレスラー引退⇒復帰を繰り返してきた大仁田は、10年に「変えんば長崎!」の掛け声とともに出馬した長崎県知事選に敗れて以降、苦境に立たされ、世間的には表舞台から消えたように見えた。ところがどっこい、こうした仕掛けは派手でも地道な取...
記事全文を読む→
