── 82年1月からは全日本に移籍して、今度はジャイアント馬場と闘うようになりました。ハンセン当時の私は手探りで自分を確立しようとしていた段階だったから、何も考えないで手加減もせずに馬場の巨体に思い切りぶつかっていただけだよ。それによって次...
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── ハンセンさんは日本人女性と結婚しているので、日本食を食べる機会も多いと思います。すでに公になっているので、ユミ夫人との馴れ初めをお聞きしてもいいですか?ハンセンプライベートな話は苦手だが‥‥結婚したのは29年前だ。彼女の友達が私のファ...
記事全文を読む→カウボーイハットにブルロープで会場狭しと暴れ回り一世を風靡した、“不沈艦”スタン・ハンセン。ウエスタン・ラリアットを武器に、猪木、馬場はもとより、天龍源一郎、三沢光晴とも死闘を繰り広げてきたのもいまだ記憶に新しい。そんなハンセンが三沢のメモ...
記事全文を読む→思えば、6度のレスラー引退⇒復帰を繰り返してきた大仁田は、10年に「変えんば長崎!」の掛け声とともに出馬した長崎県知事選に敗れて以降、苦境に立たされ、世間的には表舞台から消えたように見えた。ところがどっこい、こうした仕掛けは派手でも地道な取...
記事全文を読む→何度も挫折と“引退”を繰り返した不屈の男がまた立ち上がってきた。いつの間にやら、“涙のカリスマ”大仁田厚(57)がリングで再ブレイクを果たしていたのである。そもそも現在のプロレス界は、活況を呈している新日本プロレスのひとり勝ち状態と言われて...
記事全文を読む→一方、冒頭の世IV虎vs安川だけでなく、女子プロレスにも数々の凄惨マッチが存在する。一歩間違えば生命の危機に陥ったのは、バラエティで鬼嫁キャラを発揮する北斗晶だ。北斗が本名の宇野久子名義で戦っていた新人時代、瞬く間に出世街道を驀進したのはよ...
記事全文を読む→さらに隠れた一戦があると言うのは、お笑い芸人きっての観戦歴を誇るユリオカ超特Qだ。「僕の地元である兵庫・豊岡市民体育館で目撃しました。86年1月14日のことです。テレビ中継もなければ、プロレス誌も取材に来ないような、小さな大会ですよ」タッグ...
記事全文を読む→猪木の師であり、54年12月22日に力道山vs木村政彦という「昭和の巌流島対決」を演出した力道山は、ガチンコ勝負においても開祖となった。以来、プロレスは「八百長と真剣勝負の狭間」で揺れ動くジャンルとなっていく。古参のプロレス評論家である門馬...
記事全文を読む→そして、16年前の一戦とは、99年1月4日・新日本プロレスの東京ドームで組まれた小川直也vs橋本真也のことである。小川はアントニオ猪木が率いた新団体「UFO」のエースとして新日本に乗り込む。試合前から漂っていた不穏な気配は、開始ゴングととも...
記事全文を読む→日本のプロレス史は、力道山が国民的な英雄に君臨した50年代から始まった。そして同時に、木村政彦との一戦を端緒として「ガチンコか?八百長か?」の論争も幕を開けた。今回、女子プロレスで久々に勃発した「凄惨マッチ」を機に、歴史的な「ガチンコ勝負」...
記事全文を読む→週刊誌による薬物疑惑報道以来、清原和博はタレント活動の苦戦が取り沙汰されてきた。かつてはスポーツ番組に限らず、バラエティなどにもよく出演していたが、最近はとんとその姿を見なくなったものだ。「さすがにあれだけ派手に疑惑が報じられると、万が一に...
記事全文を読む→テリープロレスの人気回復を図ったり、ご自身をプロデュースしたりするのに、どういうことからアイデアを得ているんですか。棚橋本や映画、テレビなんですが、インプットする時間がなかなか取れないんです。試合が続いていくと、試合のことを考えたり、コメン...
記事全文を読む→テリーそもそも、棚橋さんはどうしてプロレスラーを目指したんですか。立命館大学をご卒業されているんですよね。棚橋法学部の公務行政コースというところで、政治について勉強しました。テリー立命館にプロレス同好会があったの?棚橋はい。入学式のあとでい...
記事全文を読む→テリーでも新日みたいな老舗で新しいことをすると、いろいろ軋轢もあったんじゃないですか。棚橋アレルギー反応もありましたね。昔ながらの新日のファンからブーイングが出て。テリー「やめろ!」って。棚橋そういうのもありますし、「生理的に嫌い」といった...
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