-
-
人気記事
- 1
- 「趣味でUber Eats配達員をやってる」オードリー若林正恭に「必死の生活者」が感じること
- 2
- ラモス瑠偉「W杯惨敗サッカー日本代表コキ下ろし」に抗議電話15万5000件/スポーツ界を揺るがせた「あの大問題発言」
- 3
- 桑田真澄に「偉業を全て盗まれた」同級生の元バッテリー捕手が明かす「ほとんど完全試合」時代
- 4
- DeNA大型新人・渡会隆輝「とうとう2軍落ち」に球団内で出ていた「別の意見」
- 5
- 「キスしてる?」質問にフジテレビ・井上清華が衝撃「赤面もじもじ返答」の「まさか!」
- 6
- 落合博満が「何の連絡もない」と困惑する「中日OB戦オファー事件」の舞台裏
- 7
- 「3Aで最多安打記録」巨人に新加入の外国人ヘルナンデスに「超不吉なデータ」
- 8
- 鈴木愛理じゃなくてよかった…国際的ピアニスト・清塚信也に「不倫疑惑」でどうするNHK?
- 9
- 岡田監督と不協和音!阪神・佐藤輝明「怒りの2軍落ち」で問題視された「試合に向かう姿勢」
- 10
- 広島・新井良太2軍コーチ「地元女子アナと結婚」までの「夜の歓楽街」寂しい活動
-
急上昇!話題の記事(アサジョ)
-
働く男のトレンド情報(アサ芸Biz)
-
-
最新号 / アサヒ芸能関連リンク
-
-
厳選!おもしろネタ(アサジョ)
-
最新記事
-
アーカイブ
-
美食と酒の悦楽探究(食楽web)
博多
芸能
“日本のリバプール”博多スーパースター列伝<最終回>甲斐バンド(3)
79年1月1日、新年の時報とともに、すべての民放から同じ曲が流れた。セイコーのCMに使われた「HERO(ヒーローになる時、それは今)」である。楽曲だけでなく、メンバーが映像に出演するインパクトもあり、初のチャート1位を獲得。まさしく、彼ら自…
芸能
“日本のリバプール”博多スーパースター列伝<最終回>甲斐バンド(2)
西田四郎が甲斐の存在を知ったのは、チューリップの財津和夫から渡された1本のテープである。そして財津は告げた。「すぐにウチと契約したほうがいいよ」甲斐の獲得を巡っては、吉田拓郎やかぐや姫を擁した「ユイ音楽工房」も名乗りを上げた。それを「シンコ…
芸能
“日本のリバプール”博多スーパースター列伝<最終回>甲斐バンド(1)
日本のロック史において、比類なき存在感を誇ったのが甲斐バンドだ。傷つき羽根折れそうな思いを詞に込め、強靭なサウンドとともに雄々しく立ち上がる。やがて前例のないライブ会場を次々と制覇し、後進たちに多大な影響を与えた。そして、誰よりも博多の街を…
芸能
“日本のリバプール”博多スーパースター列伝<第6回>チャゲ&飛鳥(3)
恭平は、チャゲアスと同じく「博多第二世代」と呼べる、長渕剛とも親友である。「剛にも飛鳥にも共通するのは、ちゃんと女の子が共感できる歌を書けること。飛鳥にはレコードになっていない曲もたくさんあるけど、剛よりもさらに可能性を感じた」そして才能は…
芸能
“日本のリバプール”博多スーパースター列伝<第6回>チャゲ&飛鳥(2)
チャゲアスはデビューと同時に「フォーク演歌」と揶揄された。デビュー曲「ひとり咲き」が持つ独特の情感を指してのことだが、西田は、それこそが「博多っ子」の歌だと思った。「ヤマハが作ったんじゃなく、福岡の空気を吸って生まれたのが『ひとり咲き』だよ…
芸能
“日本のリバプール”博多スーパースター列伝<第6回>チャゲ&飛鳥(1)
日本の音楽史上、最も成功を収めた男性デュオがチャゲ&飛鳥であろう。70年代の終わりにデビューを飾ると、80年代や90年代にそれぞれ大きな足跡を残す。双方が作詞作曲を手がけ、ボーカルもこなす形で切磋琢磨し、その人気はアジア全域にも広がった。そ…
芸能
“日本のリバプール”博多スーパースター列伝<第5回>チェッカーズ(3)
売野はメンバーの1人1人が、芹澤の厳しい指導を受けた場面をたびたび見ている。「メンバーは皆、芹澤先生と呼んでいたし、ギターだけじゃなくドラムでも『ここはこうやって叩け』と手取り足取りでした」売野は2曲目の「涙のリクエスト」(84年1月)、3…
芸能
“日本のリバプール”博多スーパースター列伝<第5回>チェッカーズ(2)
売野雅勇は、ややムッとした表情で「デビュー曲」の報を聞いた。芹澤と同じくサウンド面のプロジェクトに名を連ね、すでに何曲かのシングル候補が出来上がっていたのである。そのデビュー曲は作曲こそ芹澤だが、作詞は康珍化の名が飛び込んできている。「もと…
芸能
“日本のリバプール”博多スーパースター列伝<第5回>チェッカーズ(1)
博多に次ぐ福岡の音楽発信地、それが「久留米」である。松田聖子、石橋凌、鮎川誠‥‥そして83年にチェッカーズが飛び出した。単にヒット曲が多かっただけでなく、彼らは「チェッカーズ以降」と表現されるほど若者文化を大きく変えた。そこには、一流の仕掛…
芸能
“日本のリバプール”博多スーパースター列伝<第4回>海援隊(3)
〈二十歳になったばかりの僕は 別れた女を責めながら いっそ死のうと泣いていた 恋は一度と信じてた〉武田の自伝的な歌詞で、映画化・ドラマ化もされた代表作が「思えば遠くへ来たもんだ」(78年9月)である。オリコンの100位以内にランキングされる…
芸能
“日本のリバプール”博多スーパースター列伝<第4回>海援隊(2)
東京でのお披露目となる日比谷野音での合同コンサート直前、武田は迷った末に博多の野見山に電話を入れた。「迷うとっとです。ステージは標準語でしゃべったほうがいいのかって。ここは俺らが生きるか死ぬかの瀬戸際ですけん‥‥」重ねて言うが72年当時、九…
芸能
“日本のリバプール”博多スーパースター列伝<第4回>海援隊(1)
日本において、最もポピュラーな「博多弁」のイメージは武田鉄矢であろう。今から40年前、武田が海援隊として世に放った「母に捧げるバラード」は、その魅力を知らしめた歌である。ただし、ヒット曲の後に決して順風ではなかった道のりを、彼らはいかに乗り…
芸能
“日本のリバプール”博多スーパースター列伝<第3回>長渕剛(3)
〈悪夢の武道館〉を最後に、長渕は残りのツアーをキャンセルした。ギターとコーラスを担当する浜田は、その日を鮮明に憶えていた。「長渕をサポートするのが僕の仕事。彼の声が出ないなら、僕がすべて歌ってやろうかと思った」北九州市出身の浜田はヤマハのポ…