11月に入り、朝晩の冷え込みが一段と身に染みるようになると、仕事帰りの赤提灯や大衆酒場で恋しくなるのが、湯気立ち上る燗酒だ。夏場の冷酒一辺倒から温かい日本酒へシフトする左党が増える時期だが、暖簾をくぐって開口一番「とりあえず熱燗で!」と大雑...
記事全文を読む→“日本のリバプール”博多スーパースター列伝<第4回>海援隊(2)
東京でのお披露目となる日比谷野音での合同コンサート直前、武田は迷った末に博多の野見山に電話を入れた。
「迷うとっとです。ステージは標準語でしゃべったほうがいいのかって。ここは俺らが生きるか死ぬかの瀬戸際ですけん‥‥」
重ねて言うが72年当時、九州の言葉は“外国語”に近い感覚である。それでも野見山は海援隊のマネジャーとも協議し、こう伝えた。
「博多弁でいったほうがいいよ」
それは海援隊の音楽性とも絡んでいた。ビートルズを基盤とした陽水やチューリップの歌と違い、海援隊は“土着”を感じさせたからだ。ならば、カッコつけた言葉は似合わないであろうと──、
「結局、鉄矢は博多弁で押し通して、拍手喝采だったそうです」
東京進出は順調に見えたが、期待に反してレコードの売上げは上がってこない。73年には先に東京に行っていた井上陽水の「夢の中へ」が、さらにチューリップの「心の旅」が大ヒットし、武田の胸には焦りが生じていたという。
藤井は2枚目のアルバム「望郷篇」(73年9月)のライナーノーツを担当しているが、ここで評判の良かった「母に捧げるバラード」(73年12月)がシングルカットされたことを機に、局としても後押しをする。
「テレビ西日本の開局15周年を記念して、九電記念体育館で『TNC・フォークソング・フェスティバル』を開いた。5000人以上のお客さんが詰めかけてくれて、ここで前座をやらせたのが海援隊です」
ビリー・バンバンやシューベルツなどのスターに加え、福岡出身の陽水やチューリップもいる。ローカル番組でありながら北海道を皮切りに、全国の地方局から「買い」の注文が殺到。
「そこで歌った『母に捧げるバラード』が、全国でじわじわと火がついた形になりましたね」
美輪明宏の「ヨイトマケの唄」にヒントを得て、武田が母・イクとのやり取りという形で博多弁の詞を書いた。イクによれば「鉄矢が小学校でタバコを覚え」のくだり以外は、ほぼ実話であるという。
レコードは30万枚近くを売上げ、74年の大みそかにはNHKの「紅白歌合戦」にも初めて出場。ここで4分1秒の歌をカットするように命じられたと野見山は言う。
「NHKから『最多出場の三波春夫さんより長い尺はダメだ』と言われたんです。とはいえ、あの歌は起承転結があるから容易にカットできない。切られるくらいなら辞退したらどうだ‥‥そう言いましたが、まだ駆け出しの彼らがそんなことはできませんでしたね」
陽水やチューリップ、あるいは泉谷もなしえなかった「紅白」の切符は一番乗りだが、コミックソングととらえられて今で言う“一発屋”の印象も強かった。人気が低迷し、1年後の大みそかには夫人とともに「皿洗いのバイト」で糊口をしのぐ日々を迎えている。
「お前ら、元気そうだな」
武田はうつろな目で事務所の後輩に声をかけた。少し遅れてデビューしながら、コンサートツアーを重ねていた「ふきのとう」の山木康世に対してである。一方の海援隊はコンサートに客が入らず、酔客相手にキャバレー回りをやらされる「対極の図式」がそこにあった‥‥。
アサ芸チョイス
脳梗塞で療養中だった伊達みきお(サンドウィッチマン)が、10月31日の「サンドウィッチマンザ・ラジオショーサタデー」(ニッポン放送)で、2カ月ぶりに復帰した。「さあ、時刻はお昼の1時を回りました。こんにちは。サンドウィッチマンの伊達みきおで...
記事全文を読む→泉ピン子が訴えられた。映画製作会社「HumanPictures」が11月3日、所属監督の映画「AYUMI」と「養父」に出演したピン子に対し、損害賠償を求め2日付で東京地裁に提訴したと、公式Xで公表したのだ。問題が発生したのは、10月23日に...
記事全文を読む→毎日のように見聞きする「不正アクセスによる情報漏洩」のニュース。もはや情報漏洩していない企業のほうが珍しいんじゃないのってくらいだし、それどころか官公庁にまで被害は及んでいる。三菱UFJフィナンシャル・グループが、2027年3月までの開業を...
記事全文を読む→

