政治

田中角栄 日本が酔いしれた親分力(24)田中が遺した数々の人生訓

20160811n3rd

 その夜11時過ぎ、渋谷区松濤にある田村の自宅の電話が鳴った。妻は、すでに就寝し、起きる気配はない。田村は、仕方なく電話に出た。

「はい、田村ですが」

 受話器の向こうから、威勢のいい声が響いた。

「おお、ゲンさん、俺だよ、俺だよ」

 田村は、首をひねった。

〈誰だ、こいつは〉

 田村は訊いた。

「あんた、誰」

「田中だよ、角栄だよ」

「エッ! 角さんですか。これは昼間に大変失礼なことをして、申し訳ありませんでした」

「いや、いや、そんなことはいいんだ。今ね、1人で飲んでいるんだ。もう婆さんも誰も、相手になってくれないんだよ。1人じゃ淋しいから、君、今から飲みに来いよ。話し相手になってくれないか」

 田村は、渋った。

「今からといっても、もう運転手も帰したし」

「タクシーで来ればいいじゃないか」

 そこまで言われ、さすがに断りにくくなった。

「わかりました。すぐに行きますよ」

 田村は、表でタクシーを拾い、目白の田中邸に出向いた。田中の書生に、母屋に案内された。

 田中は、丸干し鰯をかじりながらオールドパーの水割りを飲んでいた。

「いや、よく来てくれた。ゲンさんは何にする?」

「僕は日本酒をもらおうかな。冷やでいいから」

 ほどなく、書生が日本酒の一升瓶とコップを持ってきた。田中がコップに日本酒を注いでくれた。

 田村は、田中に詫びた。

「今日は、どうも失礼なことを言ってしまってすみません」

「俺こそ、君に無礼なことをして申し訳なかった」

「僕も無礼なことをしてしまったので、お互い様ですよ」

「そうか、許してくれるか」

「もちろんですよ」

 田村は、30人規模の派閥横断の田村グループを形成していた。田中派には、20人ほどおり、小宮山重四郎と内海英男が代貸しとして束ねていた。仮に田村が田中派を脱藩すれば、彼らも行動を共にするだろう。田中派にとっては、大変な打撃になる。が、田村は脱藩する気持ちはなかった。

 田中もそれを確信したのだろう。両手で田村の右手をぎゅっと握りしめた。顔をくしゃくしゃにして、何度も何度も上下に激しく振った。

「ありがとう、ありがとう‥‥」

 田村は、目頭が熱くなった。

〈やはり、この人はいい人だ。強がりを言っていても、弱い人なんだな〉

 朝賀昭は、田中角栄の言葉をいくつも覚えている。

 田中角栄には家訓があった。27歳か28歳の時に自分で作ったものだという。

「希望の朝、法悦の夕 努めて誠実を持って 働け、働け、精一杯 人のこと言うなかれ まず自分でやれ」

 田中角栄は、若い人たちには、こう揮毫(きごう)していた。

「末ついに海となるべき山水も しばし木の葉の下くぐるなり」

 大海に流れていく水が、初めは木の葉の下をちょろちょろくぐっていくように、今の君たちは小さなことしかしてないが、いずれは大成し、社会の中心になっていくのだと、そういう希望を与える一節を贈った。若い人への思いやりに満ちた言葉である。もっとも、ロッキード事件の後は、常に「不動心」としか書かなかった。

 朝賀が、田中角栄の遺訓と思っている言葉がある。

「いつまでもあると思うな、親と金。ないと思うな、運と災難」

 前半の部分は月並みかもしれないが、後段は、特に心に残る。

〈オヤジらしい言葉だ。どんなに逆境になっても最後まであきらめてはいけない。どんなに順風満帆で好調な時でも、決しておごってはいけない。油断してはいけない〉

 朝賀は、人生の折に触れ、この言葉を思い出す。

 田中角栄に仕え、「我が人生に悔いなし」との思いを抱きながら。

(了)

作家:大下英治

カテゴリー: 政治   タグ: , , , ,   この投稿のパーマリンク

SPECIAL

アサ芸チョイス:

    ゲームのアイテムが現実になった!? 疲労と戦うガチなビジネスマンの救世主「バイオエリクサーV3」とは?

    Sponsored

    「働き方改革」という言葉もだいぶ浸透してきた昨今だが、人手不足は一向に解消されないのが現状だ。若手をはじめ現役世代のビジネスパーソンの疲労は溜まる一方。事実、「日本の疲労状況」に関する全国10万人規模の調査では、2017年に37.4%だった…

    カテゴリー: 特集|タグ: , , , |

    藤井聡太の年間獲得賞金「1憶8000万円」は安すぎる?チェス世界チャンピオンと比べると…

    日本将棋連盟が2月5日、2023年の年間獲得賞金・対局料上位10棋士を発表。藤井聡太八冠が1億8634万円を獲得し、2年連続で1位となった。2位は渡辺明九段の4562万円、3位は永瀬拓矢九段の3509万円だった。史上最年少で前人未到の八大タ…

    カテゴリー: エンタメ|タグ: , , , |

    因縁の「王将戦」でひふみんと羽生善治の仇を取った藤井聡太の清々しい偉業

    藤井聡太八冠が東京都立川市で行われた「第73期ALSOK杯王将戦七番勝負」第4局を制し、4連勝で王将戦3連覇を果たした。これで藤井王将はプロ棋士になってから出場したタイトル戦の無敗神話を更新。大山康晴十五世名人が1963年から1966年に残…

    カテゴリー: エンタメ|タグ: , , , , , |

注目キーワード

人気記事

1
「メジャーでは通用しない」藤浪晋太郎に日本ハム・新庄剛志監督「獲得に虎視眈々」
2
不調の阪神タイガースにのしかかる「4人のFA選手」移籍流出問題!大山悠輔が「関西の水が合わない」
3
2軍暮らしに急展開!楽天・田中将大⇔中日・ビシエド「電撃トレード再燃」の舞台裏
4
新庄監督の「狙い」はココに!1軍昇格の日本ハム・清宮幸太郎は「巨人・オコエ瑠偉」になれるか
5
【鉄道】新型車両導入に「嫌な予感しかしない」東武野田線が冷遇される「不穏な未来」