広末涼子の「W不貞スキャンダル」で、久々に「魔性の女」という活字を目にしたが、芸能界ではスキャンダルをきっかけに結婚・離婚を繰り返す「魔性女優」の存在は、珍しいものではない。かつて取材した重鎮監督をして、
「あの娘はね、好きになると周りが一切見えなくなる。だから相手に恋人がいようが奥さんがいようが、自分の気持ちに正直に生きる。で、ストレートに愛情をぶつけてくるんだからね、男がコロッといかないわけがない。つまり、あの娘は生まれながらに女優なんだよ」
と言わしめた女優、それが大竹しのぶだった。
大竹は最初の夫・服部晴治氏(TBSディレクター)を、当時同棲中だった婚約者・中村晃子から略奪。女の闘い勃発の際には、
「みんなに嫌われて、そっぽを向かれても、今の自分の気持ちを大切にした方が、私自身を好きになれる」
意志を貫いて服部氏と結婚したが、服部氏は2年半後、この世を去る。その時点ですでに、2番目の夫となる明石家さんまと「男女7人夏物語」での共演をきっかけに、秘めた恋に落ちていたというのは、よく知られる話だ。
そして、さんまと婚姻中の1992年8月、今度はヒロインとして出演する舞台「真夏の夜の夢」で知り合い恋に落ちた相手が、舞台演出家の野田秀樹氏だった。舞台から1カ月後の1992年9月、彼女はさんまとの離婚を発表。野田氏も翌93年12月、8年を共に過ごした「夢の遊眠社」の看板女優で妻・竹下明子と離婚した。
そんな2人が別々に記者会見を開き、恋人関係にあると告白。1994年4月7日のことだった。まず、世田谷区内の自宅前で会見に臨んだ大竹は、
「野田さんのことは尊敬しています。お芝居の話をしていると、勉強になることが多いんです。私の家に来たこともありますし、家族にも紹介しています。子供たちには、私の友達として紹介しています」
その表情からは、結婚も視野に入れている様子が伺えた。その4時間後、渋谷区内の所属事務所で会見を開いた野田氏も、こう言った。
「(大竹は)自然体で可愛い人です。結婚を考えたことはないけど、一緒に暮らしたいと考えています。(大竹の)子供たちとも一緒に遊んだこともあります」
だが、野田の離婚と大竹との交際のタイミングが重なっていることを指摘されるや、
「いやぁ、そういうことは…」
と口ごもり、今まで笑顔で見守っていた事務所関係が慌てて会見を打ち切る事態に。怪しげなニオイがプンプンである。
そんな会見とは裏腹に、これまでの男性遍歴を指摘された大竹は、平然と言い放つ。
「自分は普通だと思っています」
やはり「魔性の女」なのである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。