菅田将暉、Official髭男dism、King Gnuに日向坂46が初出場、さらに特別枠で竹内まりやも発表されるなど、今年も「紅白歌合戦」はにぎやかな話題が多い。令和初であり、記念すべき70回ということで、さらなるサプライズに期待がかかる...
記事全文を読む→石原裕次郎
テリースニーカー刑事役で参加した「太陽にほえろ!」は、どんな現場だったんですか。山下もうモデルの世界とは全然違いましたね。2回オーディションがありまして、最初は北海道の撮影に合流しての演技テストがあったんですが、朝5時半起きなのにスタッフと...
記事全文を読む→テリーまず僕らの世代はやっぱり、由美さんを「11PM」で見た時の衝撃が忘れられないんですよ。由美さんはあの時、おいくつだったんですか。由美15歳になったばかり、中学3年生です。なので、番組は生放送でしたけど、ビデオ出演だったんです。ドリス・...
記事全文を読む→石原軍団に重くのしかかる懸案事項が高齢化だ。そのため、3人の看板俳優に代わる役者の育成は重要かつ切迫した課題だった。00年には新人発掘オーディション「21世紀の石原裕次郎を探せ!」で徳重聡(40)がグランプリを獲得したが、イマイチお茶の間に...
記事全文を読む→名門の芸能プロダクションとして知られる石原プロは、63年1月に裕次郎が設立。映画「黒部の太陽」(日活)やドラマ「西部警察」(テレビ朝日系)など骨太のヒット作を手がけてきた。87年に裕次郎が亡くなったあと、渡が社長に就任。舘や神田といった所属...
記事全文を読む→俳優の名和宏さんが、急性腎不全のため都内の病院で死去したのは6月26日午前7時32分のこと。享年85。様々なニュースなどでは、テレビ・映画・時代劇などで悪役を数多くこなしたバイプレーヤーとして紹介され、代表作として「仁義なき戦い」が大きく取...
記事全文を読む→最高視聴率42.5%という金字塔を打ち立てたのが「太陽にほえろ!」(72~86年、日本テレビ系)だ。個性豊かな新人たちの教育係であったのが「ゴリさん」こと石塚刑事を演じた竜雷太(78)である。── 番組の開始から10年もレギュラーを務め、主...
記事全文を読む→実質的な「コンビ」解消。それと同時に、小百合自身も輝きを失っていった。「愛と死の記録」は、作品自体はよかった。しかしこれが、日活での小百合の最後のいい作品だった。その輝きと引き換えに、小百合は渡とのロマンスを得ることになる。「愛と死の記録」...
記事全文を読む→かつてブラウン管の中には、男たちが共感し、背中を追うべき「本物の漢たち」がいた。死ぬこともまた“激烈な生”であることを俺たちは教わった。〈大さん、疲れたろ?だから眠っているんだろ、お前。‥‥頼む、一言でいい。何とか言ってくれ‥‥言ってくれっ...
記事全文を読む→テレビドラマにおけるハイライトの一つに、主要キャストが迎える「劇的な死」がある。不治の病や正義の殉職、さらには主を追った衝撃死など‥‥。その瞬間、テレビの前の視聴者は、それが物語であると知りながらも大きく心を揺さぶられた。昭和から平成まで、...
記事全文を読む→熊本県民なら誰でも知っている荒木アナが亡くなったのは、8月26日。お昼のニュースを担当した後に体調を崩して救急車で搬送されたが、そのまま帰らぬ人になったのだ。死因は大動脈解離。大動脈解離では7月6日に俳優の中嶋しゅうさんが、一昨年にはバンド...
記事全文を読む→テリーその後、川地さんは東映に移って、菅原文太さんと共演した「まむしの兄弟」シリーズが大ヒットしますよね。文太さんはどういう方だったんですか?川地イメージは堅いけど、実はおどけた三枚目の役を演じるのが大好きで、ほっとくとすぐその方向へ行っち...
記事全文を読む→テリー川地さん、当時は相当稼いでいたでしょう?だって、あの頃の映画スターですからね。川地金なんか一銭もないですよ。映画に出て、終わっても「ご苦労さん」って20万かそこら渡されるだけですから。テリー当時の20万って、今だと200万ぐらいじゃな...
記事全文を読む→テリーふだんの裕次郎さんは、どんな方でしたか。川地あの人は役者になる前からスター性があったというか‥‥いつも慶応の仲間たちが集まっていてね、遊び人が多かった。テリー遊び人というのは慶応ボーイのカッコいい連中ってことですね。俗に言う「太陽族」...
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