それまで陸軍の従属的立場だった海軍を、リーダーシップを発揮、数々の改革を行って地位向上を実現した「帝国海軍の父」がこの山本権兵衛だった。その意味では、帝国陸軍生みの親として抜群のリーダーシップを発揮した山県有朋とは、明治期軍政の“龍虎”と位...
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一方、生い立ちを振り返ると、西園寺の“お公卿(くげ)さん”としての家柄は抜群であった。京都生まれの西園寺は徳大寺家で出生、西園寺家の養子になり幼名を美丸(みまる)から公望と改名した。徳大寺、西園寺の両家とも公卿としてのランクは「九清華(くせ...
記事全文を読む→現今の企業のトップリーダーなどにも、こうしたタイプがいる。周囲はその識見には一目置いているが、存在感に比して社長在任中の実績はとなると、これはといったものが見当たらないのである。しかも、トップリーダーの座を降りても、業界への影響力なお衰えず...
記事全文を読む→これにより、桂は西園寺公望に政権を譲ることとし、一方で西園寺からは、ポーツマス条約賛成を取り付けて面目を保った。その後の桂は、この西園寺と交互に内閣を率いることで第三次内閣まで務めることになるが、第二次、第三次内閣では見るべき成果はなく、実...
記事全文を読む→憲政史上最長の総理大臣在任期間2886日という「レコード・ホルダー」である桂太郎は、一方で誰にでも愛想がよく、周囲への気配りも抜群、ニコニコ笑いながら相手の背中をポンと叩くという親しみを感じさせる人心収攬(しゅうらん)術にたけていたことで、...
記事全文を読む→一方、この反骨の政治家は、政治以外のエピソードも豊富だった。記録に残る最古の始球式でボールを投げたのが、じつは大隈だった。明治41(1908)年、アメリカ大リーグ選抜チームと早稲田大学野球部の親善試合でのことだった。振りかぶった大隈の投球は...
記事全文を読む→中央政府で大蔵卿、第一次伊藤(博文)・第二次松方(正義)内閣で外務大臣として財政、外交への意欲と自信を見せた大隈重信だったが、いざ総理大臣としてオールラウンドのリーダーシップを問われる立場に立つと、脇の甘い性格を暴露、わずか4カ月の短命で第...
記事全文を読む→参院選の選挙ムードが高まる中、与野党の候補者探しが大詰めを迎えている。女性議員の活躍こそが政党支持率の底上げにつながるだけに各党の極秘リストには、ベテラン女優、80年代アイドル、女性キャスターなど有名淑女が勢ぞろい。公示日ギリギリにすべり込...
記事全文を読む→こうした短命内閣の背景は、大きく三つの要因が挙げられる。一つは、「隈板内閣」としての“二枚看板”への期待の声があったものの、両雄並び立たずで強力な推進力とはならなかった点だ。二つは、大隈は野党政治家としては、「在野の雄」との声があったように...
記事全文を読む→「無邪気の国民は、政治上の思想に乏しい。指導者がこれを教育して立憲的国民をつくっていかなければ、真の立憲政治は行われない」という立憲政治に対する言葉は、大隈重信が第一次内閣から退陣して9年後の、明治40(1907)年1月、憲政本党の総理を辞...
記事全文を読む→しかし、財政面での功績とは裏腹に、内閣を束ねたあとの松方はドジの連続であった。政治的リーダーシップが、著しく欠けていたことによる。ために、常に政局の混乱を招いていた。松方のリーダーシップ不足は、第1次内閣を組織するときにして、不安視させられ...
記事全文を読む→明治新政府には、大久保利通、井上馨、伊藤博文、陸奥宗光など政治的リーダーシップを発揮した人材は多々いたが、国の台所を賄うことには常に四苦八苦で、経済・財政理論に基づく財政家は乏しかった。背景には国家予算の「入」と「出」のバランスを取ることで...
記事全文を読む→山岸氏を擁立した立憲も、夏の参院選で正念場を迎える。枝野幸男氏(55)が代表を務める立憲は、小池百合子都知事から「排除」されたリベラル系の議員が集まり、17年10月に結党。「まっとうな政治。」をスローガンに掲げていたが、結党直後からスキャン...
記事全文を読む→怪文書には、「守衛にばれて」とある。実際、政治部記者はこう話す。「番小屋から声が漏れて、守衛に気づかれたそうです」別の政治部記者の証言。「部屋のドアが閉まっていれば壁が厚いので、声は漏れていないかも。それより番小屋には大きな窓があって、職員...
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