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記事全文を読む→【ドキュメント!不適切な昭和】家じゅうハエだらけ!ハエ取り紙・ハエ叩き・蠅帳・学校でハエ取り競技も…
これからの季節、都会のマンションで一匹のコバエが迷い込もうものなら「不衛生!」とばかりに、血眼になって殺虫スプレーを構えることだろう。だが、昭和の夏は違った。右を向いてもハエ、左を向いてもハエ。この国はかつて、人間とハエが「共生」という名の仁義なき戦いを繰り広げる、ワイルドなワンダーランドだったのである。
それにしてもなぜ、あんなにハエがいたのか。理由は明白。トイレが汲み取り式だったからだ。家の下には巨大な肥溜めがあり、そこはハエにとっての「巨大空母」であり、ウジ虫たちの「ゆりかご」でもあったからにほかならない。
夏ともなれば、銀バエがジェット機のように飛び出し、茶の間へと猛攻撃を開始する。当時の食事風景といえば、片手で箸を動かし、もう片方の手でハエを追い払う。おかずの上にハエが止まろうが「手で払えばセーフ」。そんなルールが各家庭で適用されていたのである。
このハエ軍団を迎え撃つべく、当時の家庭や飲食店には、今では考えられないグロテスクな兵器が鎮座していた。その代表格が、「ハエ取り紙(リボン)」だった。
天井から画鋲で吊るされた、茶色の粘着テープ。これにハエを誘引する薬剤が塗られており、時間が経つにつれ、ハエがびっしりと貼り付いていく。しまいにはテープ全体がハエで真っ黒に染まり、風が吹くたびに「黒いカーテン」がゆらゆら。
問題は、この粘着剤が超強力なことだ。背伸びをした拍子に、あるいは立ち上がった瞬間に、自分の髪の毛がこの「ハエの墓場」に絡みつく。あのベトベトとした感触と、耳元で聞こえるハエの断末魔の羽音…。まさに昭和のトラウマである。
空中を飛ぶハエをパチンと撃墜させた
そして当時の子供たちにとって、「ハエたたき」はもはやスポーツの道具だった。金網製あるいはプラスチック製のハエたたきを手にし、空中を飛ぶハエをパチンと撃墜。力みすぎて壁にハエを粉砕し、母親に「壁が汚れるでしょ!」と怒られたものだが、上級者の中には粘着剤を竹竿の先に塗り、セミを捕る感覚でハエを一本釣りする猛者まで現れたものである。
驚くべきことに、昭和30年代には学校行事として「ハエ取り競技」が開催され、全校で数万匹の戦果を競い合ったという記録まである。当時のハエは単なる害虫を超えた「共通の敵」であり、倒すべき「モンスター」だったのである。
もうひとつ、食卓を守る最後の砦だったのが、「蠅帳(はいちょう)」だった。傘のようにパッと開くメッシュ状のカバーで、作り置きのおかずを覆う。
今思えば、冷蔵庫が完全に普及していなかった時代の切実な知恵なのだが、あのネット越しに見る夕飯の支度は、どこか平和な昭和の象徴だったように思う。
だが東京五輪を機に都市整備が進み、水洗トイレが普及。その流れの中で、ハエは街から姿を消していった。あのハエたちは今、どこに……。
(乾章)
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