「3番・DH」の張本勲は打球が右翼最上段の金網を直撃したのを確認すると、ヘルメットを夜空に放り投げた。日本プロ野球は1934年に誕生したが、46年目にして前人未踏の大記録が生まれた。通算「3000本安打」である。80年5月28日、川崎球場で...
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26年も、佐々木の歩みには「中断」があった。8月下旬、右手中指のマメによって負傷者リスト入りし、9月には救援として復帰した。前年の右肩の問題とは別の理由でも、予定していた登板は失われてしまう。投球の技術を磨くことと並行して、体の状態を保ち、...
記事全文を読む→25年1月、ドジャースの入団会見で佐々木が掲げた課題は、意外なほど地に足がついていた。「直球とフォークを見てほしい」と話す一方、好調時の投球を年間で維持することを重視した。日本で残した最高の1日を、そのまま米国へ持ち込めばよいとは考えていな...
記事全文を読む→「怪物」と呼ばれる投手には、普通の好投では観衆に満足してもらえない難しさがある。160キロを超える直球も、打者のバットを空に泳がせるフォークも、見慣れてしまえば期待の最低ラインになる。佐々木朗希の歩みは、類いまれな才能で期待を膨らませながら...
記事全文を読む→佐々木朗希は、令和の怪物世代を象徴する存在だ。その圧倒的な才能には、同じ01年度生まれで甲子園をにぎわせた奥川恭伸、宮城大弥も距離感があった。だが、高校生最速、完全試合達成などの国内での栄光は、渡米後も続くわけではなかった。苦悩する怪物はみ...
記事全文を読む→1975年12月11日午後、巨人は東京・大手町の読売新聞会議室で日本ハムから交換トレードで移籍してきた張本勲の入団発表を行った。だが、これは第一幕だった。その後、場所を球団事務所に移してオーナーの正力亨が張本に向き合って公開インタビューが始...
記事全文を読む→A89年の福岡移転以降初のリーグ3連覇となったソフトバンクの強さは圧巻だった。最大の要因は高給取りの山川穂高(34)が極度の不振で2軍留め置きも、若手の正木智也(26)の才能がようやく開花、一塁のレギュラーを奪った。オフには指名打者制が始ま...
記事全文を読む→B阪神は藤川球児監督(46)の“暴走”が加速している。昨年就任後に口うるさいOBの取材を締め出したが、今季も続行中だ。あるOBからは「優勝したら仕事は増えるが、球児はV逸しろ!」と念じられていたほど。新聞の見出しにまで苦言を呈すことも一度や...
記事全文を読む→今年のプロ野球は、セ・パともにシーズン中に指揮官が途中辞任に追い込まれる球団が出現する異常事態が発生。しかし、ペナント争いは昨年の覇者が終始優位に進め、順当な結果に。一方、ベンチ裏ではメジャー出戻り選手の獲得、不倫騒動の後始末、ゾンビたばこ...
記事全文を読む→村上の歩みにおいて、岡本は比較される相手であると同時に、比較から離れて話せる相手でもあった。21年には2人が39本塁打でタイトルを分け合っている。巨人とヤクルトの主砲として、同じリーグで本塁打を積み重ねる関係は、競争相手という言葉がよく似合...
記事全文を読む→村上の渡米を、「三冠王が勢いのまま新天地へ飛び出した話」として描くのは正確ではない。22年12月の契約更改で、ヤクルトと3年契約を結び、25年シーズン終了後のポスティング移籍を球団が容認した。渡米への道筋は、実際に海を渡る数年前から具体化し...
記事全文を読む→26年3月26日、ブルワーズとの開幕戦。ホワイトソックスの「6番・一塁」で先発した村上は、9回にメジャー初本塁打を放った。打球は2階席の看板へ。デビュー戦から、その飛距離を米国の観客に見せつけた。試合後の視線は、さらに先を向いていた。本人の...
記事全文を読む→球界でも「Z世代」が幅を利かせる時代だ。日本での成功で収まるのではなく、海を渡りメジャーへ挑んでいく。常勝軍団ではない、勝ち方が出来上がっていないチームを選び、自らチームを変える側に入り、快音をとどろかせる。ヤクルトの主砲は、その打棒で古豪...
記事全文を読む→1981年9月23日、午後8時5分の後楽園球場、日本ハムナインが人工芝を蹴ってマウンドに殺到した。49歳の監督・大沢啓二が仁王立ちしていた。ナインの手で88キロの体が1度、2度、3度‥‥11度宙に舞った。続いて主将の柏原純一、オーナーの大社...
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