田淵幸一氏が阪神から西武に移籍したのは、78年シーズンオフ。西武は根本陸夫監督が81年シーズオフに退くと、78年にヤクルトを日本一に導いた広岡達朗監督が就任する。広岡監督は就任するなり1、2軍合わせて80人が集まった大部屋で、こう言い放った...
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広島に移籍した秋山翔吾が当面の間、2軍で調整することになった。佐々岡真司監督が7月3日に言及した。秋山は2日と3日に山口・由宇での中日との2軍戦2試合に出場し、1安打1四球。守備ではセンターとレフトを守ったが、佐々岡監督は「もう少し様子を見...
記事全文を読む→オリックスのエース・山本由伸が6月18日の西武戦で、自身初のノーヒットノーランを達成した。四球わずか1つという、準完全試合である。序盤から直球、変化球ともにキレキレで重ねた三振は9個。圧巻の投球で相手ファンからも拍手を送られていた。敵将の辻...
記事全文を読む→米メジャーリーグ・パドレス傘下3Aエルパソの秋山翔吾が退団した。今後は米国内で新たな移籍先を探す。秋山は西武から19年オフに海外FA権を行使してシンシナティ・レッズと3年契約を結んだが、2シーズンで出場したのは142試合止まり。打率2割2分...
記事全文を読む→「令和の怪物」として、今やプロ野球で最も名前が知られるように──。そんな佐々木朗希が所属するロッテは熱心なファンを除いて、これまであまり話題の中心に入ることは少なかった。05年のバレンタイン監督時代にリーグ優勝して阪神相手に戦った日本シリー...
記事全文を読む→主に西武ライオンズで活躍した元プロ野球選手・石毛宏典氏が、自身のYouTubeチャンネル〈石毛宏典TV〉で、1982年から西武で指揮を執った広岡達朗監督時代を回顧した。広岡監督は、徹底した〈管理野球〉でも知られ、西武では食生活の改善にも着手...
記事全文を読む→1980年のプロ野球ドラフト会議は、現在、巨人の監督を務める原辰徳氏が目玉だった。他にも広島、大洋(現・横浜DeNAベイスターズ)、日本ハムから1位指名を受けたが、この年に巨人の新監督に就任した藤田元司(故人)がクジを引き当てたのだ。一方、...
記事全文を読む→日曜朝の生放送の報道番組「サンデーモーニング」(TBS系)の“ご意見番”として、2000年から長らく出演していた張本勲氏が昨年末に勇退。元巨人の上原浩治氏が今年から新たなご意見番として起用され話題となった。この“ご意見番”役だが、長らく務め...
記事全文を読む→元プロ野球選手の真弓明信氏と言えば、阪神タイガース唯一の日本一に輝いた1985年のレギュラーメンバーだったこともあり、「阪神の生え抜きだったのでは?」と思う方も少なくないのではないか。しかし、実際には、1972年に、ドラフト3位で太平洋クラ...
記事全文を読む→西武、中日、ダイエーのセ・パ3球団でピッチャーを務めた元プロ野球選手の杉本正氏。現役時代、タイトルには恵まれなかったものの、2ケタ勝利を挙げること3度の実績をもち、西武での1982年と、中日での86年、87年にはオールスターゲームにも出場し...
記事全文を読む→主に西武ライオンズで活躍した石毛宏典氏は、ルーキーイヤーの1981年、遊撃手としてベストナインとゴールデングラブ賞に選出され、新人王も獲得。華々しいデビューを飾った。しかしながら、そんな石毛氏のシーズン1年目を振り返り、「下手くそ」呼ばわり...
記事全文を読む→巨人で活躍した元プロ野球選手・槙原寛己氏のYouTubeチャンネル〈ミスターパーフェクト槙原〉の、1月20日付け投稿回に、主に西武ライオンズで活躍した元プロ野球選手の石毛宏典氏が出演。巨人三本柱として活躍した槙原氏と、西武でチームリーダーも...
記事全文を読む→生え抜きの巨人の選手であり、世界記録となる868本塁打を放ち、栄えある「V9時代」を支えた功労者の王貞治氏が、1994年10月12日、福岡ダイエーホークスの監督に就任との報には驚かされたものだ。95年から3年連続Bクラス、しかしながら98年...
記事全文を読む→11月4日に北海道日本ハムファイターズの監督に就任し、早くもフィーバーを巻き起こしている新庄剛志氏。8日からは沖縄・国頭秋季キャンプを視察し、午前と午後で赤ジャージから黒ジャージにお色直しするサービスぶりや、ユニークな練習法の提案など、連日...
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