「令和おじさん」がついに総理となった。そう、菅義偉官房長官が、第99代総理大臣に就任したのだ。雪深い秋田の農家に生まれ、満州からの引き揚げ者でもある父の背中を見て育った菅氏。サラリーマンとして生きるも途中で人生を政治に捧げようと一大決心。2...
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さて、8年弱の長期政権を誇った第2次安倍政権ではあったが、特に政権の中盤あたりから、世論の批判の対象となりだしたことが大きく三つあった。閣僚などの不祥事のたびに「任命責任は私にある」と国会答弁で口にするものの、「責任」はいつも行方不明、“ほ...
記事全文を読む→元号が「平成」から「令和」に変わった慶事の一方で、その令和元年(2019年)は、「1強」として長期政権を敷いた安倍晋三政権の曲がり角が待っているという皮肉な年であった。安倍総理はこの年11月20日で総理通算在位日数2886日となり、桂太郎総...
記事全文を読む→飄々とした表情にトボけた話しぶり。時には恫喝めいた口調で迫力を出す。自民党内の人事を操り、この総裁選の重要キーマンとなっているのが、二階俊博幹事長(81)である。全国紙政治部デスクが解説する。「安倍総理が退陣を表明した翌8月29日夜、二階氏...
記事全文を読む→こうした強権的な安倍政権ではあったが、内閣支持率もおしなべて高く、安倍の思惑通りの政治が進み、異論の入る余地がなかったことで、「安倍1強」政治との言葉も生んだのだった。その安倍は、第2次政権発足後、衆参の国政選挙を6回(令和元年参院選を含む...
記事全文を読む→第1次政権を体調不良と選挙の敗北責任で投げ出した安倍晋三は、それから5年余後、総理大臣として「再登板」を果たした。「再登板」は吉田茂元総理のそれ以来、60年以上なかったものである。その第2次政権発足以降の安倍は、第1次政権の手法をかなぐり捨...
記事全文を読む→体調不良が囁かれていた安倍晋三首相が8月28日、辞任する意向を固め激震が走った。安倍首相は潰瘍性大腸炎の持病があり、第1次政権時は2007年7月の参院選で大敗後に体調が悪化し、約1年で退陣。今回も21年9月末まで自民党総裁3期目の任期が残る...
記事全文を読む→なんと、民主党と野党の自民党、公明党との「大連合」構想を打ち出したのである。これには、さすがに民主党内から「政権交代可能な2大政党づくりに成功したのに、あまりに矜持がなさすぎる」と大ブーイング、世論また「野合以外の何物でもない」と政権に背を...
記事全文を読む→ようやく果たした政権交代をわずか3年余で再び政権を自民党に明け渡す役割を演じたのが、この野田佳彦であった。野田は東日本大震災で危機管理能力欠如を暴露、退陣を余儀なくされた菅直人のあとを襲った形で総理大臣に就任した。野田は民主党内での存在感は...
記事全文を読む→8月17日に安倍晋三総理が受けた慶応大学病院での7時間半に及ぶ検査をめぐり、健康不安説が浮上している。13年前の9月、持病の潰瘍性大腸炎の悪化で電撃退陣した悪夢再び─と各マスコミは報道するが、果たして何が行われたのか。慶応病院側は「6月に実...
記事全文を読む→収束が一向に見えないコロナ禍生活に国民のストレスは我慢の限界。日本中に疑心暗鬼のイヤな空気が蔓延し、人間関係がギクシャクする中、各地で夏の怪談話よりも怖い、おぞましい「コロナ事件」が──。例えば、8月4日の記者会見で、イソジンなどの商品で知...
記事全文を読む→政権発足から半年の平成22(2010)年の年末には、さすが党内外から「菅政権はすでに末期」との声が挙がり始めた。なるほど、年明けての通常国会召集を待つかのように、菅を見限った民主党内衆院議員16人が離党届を提出、この「民主の乱」すなわち倒閣...
記事全文を読む→菅直人という元総理大臣の一端を物語る、こんなエピソードがある。昭和56(1981)年秋の臨時国会。時の衆院の行政特別委員会で、社会運動家として鳴らした市川房枝女史とともに立ち上げた少数野党「社民連」の1年生代議士だった菅が、質問に立った。国...
記事全文を読む→さて、それまでの政治の仕組みから「脱・官僚」「政治主導」と一変させたスローガンで新しい政治体制を目指した鳩山政権は、なぜ1年ももたずに退場を余儀なくさせられたのかである。最大の要因は、明治時代の太政官制度以来のこの国の官僚制度の堅牢を、軽視...
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