“苦節23年”ついに政権に就いた竹下登の政治手法は、強引さとはまったく無縁の辛抱に辛抱、周囲を説得に次ぐ説得で、ついには「落とす所に落とす」というものだった。「政界のおしん」「調整名人」との異名があったゆえんである。それを実証してみせたのは...
記事全文を読む→政治
政府はとんでもない事実を国民に隠し続けている─。安倍晋三総理(65)は4月16日に、新型コロナウイルス蔓延に対する緊急事態宣言を全国47都道府県に広げると同時に、人と人との接触機会を「最低7割、極力8割」に減らせば終息に向かうと力説した。そ...
記事全文を読む→高井崇志衆院議員が4月15日、所属していた立憲民主党から除籍処分に処せられた。高井議員は政府が緊急事態宣言を発令した2日後の、4月9日に、東京・歌舞伎町の女性キャストが接客するお触りがOKの店で遊興。この夜遊びについて4月16日に週刊誌に記...
記事全文を読む→その頃の竹下の“辛抱強さ”以外の評判は、調整のうえで物事を“落とすところに落とす”術にたけていたことから「調整名人」との評判が高かった。そのうえで、事を決して強引に運ばず、自己宣伝一切なしで前に出ることをせず、周囲への気配り、目配りをよくし...
記事全文を読む→「苦節10年」という俚諺(りげん)があるが、この竹下登は天下を取るのに、じつに23年の歳月をかけたのだった。のちに触れる竹下の極め付きの“辛抱強さ”が、改めて知れるのである。竹下の「政治の師」は、国政入り後、初めてワラジを脱いだ佐藤派の領袖...
記事全文を読む→4月10日、小池百合子東京都知事が会見を行い、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、休業要請を行い、同時に対象となる業種を発表した。「3密」を避けるという意味から、バーやカラオケ、ボウリング場やゲームセンターなどが休業の対象になっている。...
記事全文を読む→ついに首都東京を含め7都道府県に置いて緊急事態宣言が発令された。自粛生活により八方塞がりとなったニッポン列島に、今度は経済危機の赤信号が灯り、コロナ禍よりも恐ろしい未曾有の大恐慌の嵐が吹き荒れるというのだ…。安倍晋三総理がついに、コロナ対策...
記事全文を読む→退陣を決意した中曽根は、後継に竹下登を指名した。安倍晋太郎(安倍晋三総理の父)、宮沢喜一(のちに総理)も候補とされたが、3者の中で最も自民党内がまとまりやすいとの理由で竹下を選択したということであった。同時に、竹下が順調な政権運営を続ければ...
記事全文を読む→中曽根康弘政権は「戦後政治の総決算」を掲げた本格政権でもあったが、『構え』の大きさの割には実績評価は分かれている。とくに、5年にわたった政権に国民人気は高かったものの、退陣後の永田町とりわけ自民党内の評価は二分されていたものだった。中曽根は...
記事全文を読む→新型コロナウイルスの感染拡大によりマスク不足が問題となり、政府が全国の世帯に2枚ずつ布マスクを配布することを発表。この対策が「アベノマスク」などとヤユする声が噴出するなど物議を醸しているが、そんな中、「マスク姿」が話題を呼んでいるのが、自民...
記事全文を読む→鈴木の経歴は、おもしろい。岩手県立水産学校(現・県立宮古(みやこ)水産高校)では弁論部に属し、一方で漁業協同組合組織とその活動ぶりに疑念を持ち、ここで改革の必要性に目覚めた。卒業時は、優等生であった。水産高校卒業後は農林省の水産講習所に入り...
記事全文を読む→大平派最高幹部の鈴木善幸が、派閥領袖(りょうしゅう)の大平正芳の急逝により総理のイスにすわったのは、ロッキード事件にもまれ、なお影響力温存を窺った時の最大派閥の領袖、田中角栄の意向によるものだった。田中と鈴木は、昭和22(1947)年4月の...
記事全文を読む→桜の下で笑顔を見せる1枚の写真が波紋を呼んでいる。ライトアップされた桜の下で、芸能人の姿も見える総勢13名の中央でほほ笑んでいるのは、安倍晋三総理の妻・昭恵夫人。コロナ禍が広がる3月下旬、昭恵夫人が私的な“桜を見る会”を楽しんでいたと3月2...
記事全文を読む→この「40日抗争」に一応のピリオドが打たれたあとの第2次内閣でも、「反主流」の3派はホコを収めず、それから約半年後の5月には社会党が提出した内閣不信任決議案の本会議採決で、福田、三木の両派が欠席(中曽根派は一応出席)、ために不信任決議案は2...
記事全文を読む→
