9月28日にスタートした都議会では、与党自民党との対立は不可避とされている。自民党関係者の小池氏に対する怒りが根強いからだ。「都知事選の候補者擁立にあたり、自民党本部は『党内からは擁立しない』という方針を立てた。これを小池氏は唯々諾々と承認...
記事全文を読む→アントニオ猪木
「実はね、合意していたエキシビションマッチは韓国内で行うことを計画していました。やるかやられるかの殺伐とした試合ではなく、自由にやらせてあげたかった」(新間氏)ところが、猪木戦を終えたアリの体は、すでにボロボロだったという。「アリはね、ファ...
記事全文を読む→6月3日、この世を去った元ボクシングヘビー級チャンピオンのモハメド・アリ。日本では1976年にアントニオ猪木との異種格闘技戦を行ったことで知られている。6月12日にテレビ朝日系で放送された追悼特番「蘇る伝説の死闘『猪木vsアリ』」では、伝説...
記事全文を読む→「試合の前に、アリは後楽園で行われた猪木さんの公開練習を見たんですよ。それであまりの迫力ある技に危機感を募らせたんです。そこで、あれはダメ、これもダメとルールの変更を申し出た。でも、猪木さんは全部受け入れた。それもこれもいまさら引くに引けな...
記事全文を読む→モハメド・アリVSアントニオ猪木の「格闘技世界一決定戦」から40年──。試合が行われた6月26日は「世界格闘技の日」となったが、今月3日、その日を待たずしてモハメド・アリが息を引き取った。享年74歳。世紀の一戦を仕切った当時の新日本プロレス...
記事全文を読む→「スポ根」漫画という新ジャンルを開拓してきた中で親密な関係を結んでいたのが、空手家で極真会館創始者の故・大山倍達氏だった。梶原氏が20歳の時、米国から凱旋帰国した大山氏を取材して以来、交流は続き、71年には「週刊少年マガジン」(講談社)で、...
記事全文を読む→2月28日、港区の東京プリンスホテルで行われた「第25回東京スポーツ映画大賞」に「海街diary」で主演女優賞に輝いた綾瀬はるかが登場。壇上で「コマネチ!コマネチ!」と審査員長であるビートたけしの持ちギャグを披露し、会場を爆笑の渦に包み込ん...
記事全文を読む→敗戦後の日本人を勇気づけたのが「プロレス」である。人々は街頭テレビに熱狂し、力道山の空手チョップに声援を送った。そしてジャイアント馬場、アントニオ猪木と続く繁栄の裏面史を、最年長レスラー、グレート小鹿が証言する。── 日本プロレスに入門され...
記事全文を読む→戦後最大の英雄だった力道山は63年12月15日、ヤクザに刺された傷がもとで、39年の生涯を終える。現役最古参のプロレス記者・門馬忠雄氏が、当時の緊迫した様子を再現告白する。当時、「東京スポーツ」のボクシング担当だった私は社で原稿を書いている...
記事全文を読む→先にも触れたように、長州はプロレス入りしてすぐに頭角を現したわけではない。ブレイクするまでには、2度の国外遠征を経て、8年もの月日がかかった。82年10月8日、後楽園ホールでアントニオ猪木、藤波辰巳と組んだ長州は、試合中から年下の先輩であり...
記事全文を読む→── ハンセンさんは日本人女性と結婚しているので、日本食を食べる機会も多いと思います。すでに公になっているので、ユミ夫人との馴れ初めをお聞きしてもいいですか?ハンセンプライベートな話は苦手だが‥‥結婚したのは29年前だ。彼女の友達が私のファ...
記事全文を読む→そして、16年前の一戦とは、99年1月4日・新日本プロレスの東京ドームで組まれた小川直也vs橋本真也のことである。小川はアントニオ猪木が率いた新団体「UFO」のエースとして新日本に乗り込む。試合前から漂っていた不穏な気配は、開始ゴングととも...
記事全文を読む→「皆さん、料理は得意ですか?包丁(訪朝)がなければ料理はできない。早く(日朝の)友好関係が築ければと思っています」得意のダジャレを口にして北朝鮮へと渡った参院議員のアントニオ猪木氏(71)が8月30、31日の2日間、「インターナショナル・プ...
記事全文を読む→アントニオ猪木さんのものまね芸人として有名な春一番(享年47)が7月3日、肝硬変のため急死した。酒が好きで前日も就寝前に飲んだという。酒は肝硬変の大敵だが近年、アルコールをあまり飲まない人にも患う人が増えている。肝硬変は脂肪肝の発生・蓄積に...
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