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過去には、トラブルにも事欠かなかった。
たかじんのブレイクのキッカケとなった「たかじんNOばぁ~」(92~96年、読売テレビ系)では、番組開始早々に共演者を怒らせ降板する“事件”もあった。在阪テレビ局スタッフが言う。
「番組スタート開始早々、準レギュラーの大竹まことさんを激怒させて、トラブルに発展したこともあった。番組中、たかじんさんが再三にわたって大竹さんの過去の女性関係に触れて挑発。ところが、あまりにもストレートすぎる発言に、怒り心頭の大竹さんが番組を降板してしまった。ところが、これを快く思っていなかったたかじんさんは後日、大逆襲。番組中に『大竹、文句あんならかかってこんかい!』とまくしたてた。そのまま両者の共演は、生涯一度もなかった」
シャレで済まなかったケースは他にもある。
「20年ぐらい前ですが、たかじんさんと間寛平さんが蜜月関係の時があった。当然、女性関係もあけすけに話していたところ、たかじんさんが番組で泥酔したあげく、寛平ちゃんの女性交遊を暴露してしまったんです。これに、『親しい仲にも礼儀があるやろ』と激怒した寛平ちゃんは、たかじんさんへの報復を決意。後輩の明石家さんまを誘おうと楽屋を訪ねるも、『兄さん勘弁してや。行くなら1人で行ってください』と拒否され、そのまま“襲撃計画”はオジャン。しかし、その後は絶縁状態になりました」(ベテラン芸人)
関西での「傍若無人ぶり」はすぐに在京のキー局にも広まり、92年に東京に進出。しかし、「関西の無頼王」に鈴をつけることができないまま、あえなく番組終了の憂き目にあった。それ以降、たかじんは気心の知れたスタッフと関西キー局を拠点に、「たかじん帝国」を築くことになる。東京進出当時を知る番組関係者はこう振り返る。
「かつてテレビ朝日の『M10』という番組にレギュラー出演しましたが生放送というのがウカツだった。番組のコーナーで料理学校の生徒と料理を作っていて、途中で化学調味料がないことに気づくと、『調味料はどこじゃー』と何度も連呼。それでもスタッフが誰も対応せず、最後まで調味料が出てこないことに感情がヒートアップ。最終的に『こんな腐った番組やめたる!』とタンカを切って、そのまま生放送中にもかかわらず退場し、セットを破壊して右手を骨折した。ただ、東京への敵がい心とコンプレックスはあったようで、のちに60万枚売り上げたヒット曲『東京』につながった」
また、番組中の発言が問題視され、BPO(放送倫理・番組向上機構)から勧告処分を受けたり、名誉毀損が認定され、損害賠償を命じられたこともあった。
円氏が、その死を悼む。
「あと15年くらいは生きてもらって、また仕事がしたかった。『視聴率男』と呼ばれてプレッシャーもあったと思いますが、とにかく研究熱心で、常に世の中の動きをリサーチしていた。庶民目線を大事にしていて、そこから外れると数字につながらないということがわかっていたのでしょう。仕事では共演者やスタッフに厳しく、僕がちょっとでも偉そうな態度をしたら、ものすごく怒られましたね。プライベートでも仕事の話になると説教魔に変わるほどでした。
その一方で、スタッフの前では虚勢を張って俺についてこいという態度を見せますが、ふだんは『寂しい』と漏らすこともあり、孤独をにじませる人でした」
野獣のような鋭い目つきと毒舌の陰には、常に繊細な気配りがあった。最後までトップランナーのまま人生を全うしたたかじんに、合掌。
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