サッカーのクラブW杯が開幕した。出場チームが32に拡大されて初めての大会ということで、どんな大会になるのか大きな注目を浴びている。各大陸の強豪クラブが参加する中、敢えて優勝候補を挙げるなら、やはりヨーロッパ勢になる。普通に考えればCL(欧州...
記事全文を読む→スポーツ
阪神特急が急停車である。セ・パ交流戦を6月8日まで5勝1敗と快調に走っていた阪神が、10日から15日までのビジター6連戦を、まさかの6連敗。これで5勝7敗ととなり、交流戦初優勝に黄信号が灯った。6月10日から14日まで、5試合連続逆転負け。...
記事全文を読む→「放送禁止用語」というのは読んで字のごとく、放送には不適切なため、その使用が禁止されている言葉のことだ。これは日本のみならず、欧米でも「dirty word」と呼ばれる。有名どころとして「F**K」「S**T」といった単語が、それにあたる。...
記事全文を読む→三塁側コンコースを歩くと頭上から細かなミストが降り注ぎ、ひんやりとした空気が肌を撫でる。夏場の過酷な暑さに悲鳴を上げてきたベルーナドームが、7月8日の楽天戦から「大規模ミスト設備」を導入し、新たな観戦スタイルを提案する。ミストは「気化熱利用...
記事全文を読む→先の平松氏とは打って変わり、長嶋を不得手にしていたのが、元中日の権藤博氏(86)だ。いまだ破られない492回1/3投球回で沢村賞を戴冠したルーキーイヤーからこっぴどくやられた。あの伝家の宝刀を打ち崩した、天才的打撃センスにアッパレを贈る。「...
記事全文を読む→昭和を彩った大投手の中でも「長嶋キラー」と呼べる筆頭は、元大洋の平松政次氏(77)だろう。いかにミスターを苦しめたかは対戦成績で明らかだが、相対するマウンドは余裕綽々とはいかなかった。むしろ、その内心は畏怖の念を抱くばかりだったようで‥‥。...
記事全文を読む→時には選手と対立し、マスコミと激しくやり合い、本来であればバックアップしてくれるはずの日本サッカー協会とも対立した元日本代表監督のフィリップ・トルシエ氏が、初めて日本サッカー協会との対立の詳細を明らかにした。ガンバ大阪の公式YouTubeチ...
記事全文を読む→一塁走者・長嶋茂雄が二塁に突っ走った。三塁走者・王貞治が、捕手から二塁への送球の行方を確認した。そして─。1961年5月18日、後楽園球場での国鉄(現ヤクルト)対巨人の8回戦、21歳の王が1試合で二盗、三盗、そして本盗の3盗塁に成功した。翌...
記事全文を読む→脇腹痛で2軍調整中のヤクルト・村上宗隆が6月に入り、屋外での打撃練習を開始し、前半戦中の1軍復帰を目指している。シーズン終了後に大リーグに挑戦する見通しだが、脇腹のケガで状況が変わりつつある。「村上の商品価値は落ちてしまいました。高額契約を...
記事全文を読む→巨人の黄金時代を築いたONの裏話を、元ニッポン放送アナ・松本秀夫氏と、元巨人・岡崎郁氏が暴露。岡崎氏のYouTubeチャンネル「アスリートアカデミア【岡崎郁公式チャンネル】」で、まずは6月3日に他界した長嶋茂雄氏のカラオケ十八番を明かした。...
記事全文を読む→80年10月20日、広島市民球場での最終戦、巨人はAクラスの3位を確保したが、2リーグ体制発足後としては初めて3年連続で優勝を逃した責任を取らされ、翌日、長嶋監督は突然の解任となる。「最終戦、江川さんが先発して7回まで投げて僕は8回、9回と...
記事全文を読む→78年、大洋ホエールズの主砲・シピンが巨人に移籍する。それにより背番号が「11」から「45」に変更となったのが角盈男氏。クラブハウスに呼ばれて長嶋からはこう伝えられたという。「『悪いけど11をシピンに譲ってくれ。空いてる番号は45しかない。...
記事全文を読む→80年の“解任”から93年の監督復帰まで、ミスターの活躍の舞台は野球解説などの球界だけにとどまらなかった。その唯一無二の天心爛漫なキャラクターを生かし、テレビ出演やビッグイベントのアンバサダーなど、マルチタレントとして引っ張りだこに。テレビ...
記事全文を読む→数々のミスター伝説の中でも幾度となく語られるのが、79年に静岡・伊東市で行われた秋季キャンプ、通称「地獄の伊東キャンプ」だ。想像を絶する過酷なトレーニングに耐えた角盈男氏が回顧する。「投手だと午前中は投げるだけ、午後は走るだけ。野手の場合は...
記事全文を読む→
