「バックスクリーン3連発」は、85年4月17日、甲子園球場で行われた巨人戦で、阪神のランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布が7回裏に槙原寛己から放った、3者連続本塁打である。試合は6対5で阪神が勝利。この年、阪神が21年振りのリーグ優勝を飾っ...
記事全文を読む→高橋慶彦
走者の盗塁を阻止するため、投手が投球動作を小さく、素早くした「クイックモーション」。プロ野球において「クイックモーション」の起源には諸説あるが、江本孟紀氏が8月8日、高橋慶彦氏のYouTubeチャンネル〈よしひこチャンネル〉に出演し、自身の...
記事全文を読む→80年代の阪神タイガースといえば、85年4月17日に巨人・槙原寛己から放った「バックスクリーン3連発」に象徴されるように、ランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布の強力打線が印象的だ。その岡田氏を、広島カープ時代に盗塁王3回、最多安打1回獲得し...
記事全文を読む→「スーパーカートリオ」とは1985年、大洋ホエールズの監督に就任した近藤貞雄氏の発案により結成された。俊足を武器にした高木豊、加藤博一、屋敷要の3人を指してそう呼ばれたのだ。70年代後半から加速度を上げて巻き起こったスーカーパーブームにあや...
記事全文を読む→1994年シーズン途中の6月に、ダイエーから巨人に移籍。初めて出場した日本シリーズの第6戦では、西武の工藤公康からタイムリーとなる二塁打を放つなど、長嶋茂雄監督の初となる日本一に貢献した──。その岸川勝也氏が高橋慶彦氏のYouTubeチャン...
記事全文を読む→「メークドラマ」は巨人の大逆転を期待する言葉として、当時の長嶋茂雄監督が発案。1996年の新語・流行語大賞の年間大賞にも選出された。その96年、巨人は一時、首位に11.5ゲーム差と水をあけられ、絶望的な状況に追い込まれていた。ところが7月か...
記事全文を読む→広島カープ時代に「巨人キラー」の異名を取った左腕・川口和久氏。1983年、自身のキャリアハイとなる15勝を挙げるも、翌84年は前半戦で1勝しかできずに折り返した。しかし後半戦で7勝を挙げ、リーグ優勝、日本一に貢献している。この成長の秘密には...
記事全文を読む→「打線というのは、前後の顔が見えた方が、自分の役割がわかる。(中略)1番バッターと3番バッターってのは、そんなに役割変わらないんじゃないかと言われる方が多いんだけども…」下馬評に反して低迷を続ける阪神タイガース。首脳陣は早く結果を出そうと変...
記事全文を読む→主に広島で活躍した元プロ野球選手であり、1975年からは広島で監督を務め、リーグ優勝4回、日本一に3回導いた、古葉竹識氏(故人)。その古葉氏の初めての日本一は、近鉄バファローズと日本シリーズで戦った79年。3勝3敗で迎えた第7戦は、「4対3...
記事全文を読む→1987年、広島東洋カープに、日本プロ野球2リーグ制後、唯一にして、2つの実に興味深い記録が刻まれているのをご存知だろうか。それを明かしたのは、西武、中日、福岡ダイエーホークス(現、福岡ソフトバンクホークス)の3球団を渡り歩いた元プロ野球選...
記事全文を読む→「巨人三本柱」と言えば、槙原寛己氏、斎藤雅樹氏、桑田真澄氏を頭に思い浮かべる方も多いことだろう。が、この3氏が活躍したほんの数年前、江川卓氏、西本聖氏、定岡正二氏も「三本柱」と称されていた。新旧「三本柱」を、各3氏のシーズン勝利数を合計して...
記事全文を読む→「F1(エフ・ワン)」とは、「車輪とドライバーが剥き出しになっている」というフォーミュラなる規格に沿ったレーシングカーの一種で、「フォーミュラ1」の略称。では突然だが、この「F1」など、一般的に「速い」とされている車は、なぜ速く走れるのか、...
記事全文を読む→落合博満氏、タフィ・ローズ氏に続き、3人目のセ・パ両リーグでの本塁打王に輝いた山崎武司氏と言えば、一塁手、もしくは外野手の印象が強い。が、プロ入りした中日ドラゴンズでは、キャッチャーとして将来を嘱望されていた時期もあった。1986年、ドラフ...
記事全文を読む→元巨人の選手でヤクルト、西武をリーグ優勝、さらには日本一に導いた名将・広岡達朗氏と言えば、歯に衣着せぬ辛辣な発言も時折取り沙汰されることでも知られる。記憶に新しいものでは,、2020年9月11日、通算1067勝を挙げ、巨人軍監督として故・川...
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