今季のプロ野球はセ・パ両リーグで打率や本塁打数が昨年を上回り、「打撃好調」の声があちこちで聞かれる。スタンドに飛び込む打球の数は、開幕から交流戦終了時点で全12球団445本に達し、平均打率は昨季からアップ。これほど明るい打線の背景には木製バ...
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野村克也が大声を出した。視線の先には高井保弘がいた。「おう行くぞ、出番だ」1974年7月21日、後楽園球場でのオールスター第1戦は、セ・リーグが2対1でリードしていた状況で9回裏1死一塁、パ・リーグの攻撃を迎えていた。マウンドに立っていたの...
記事全文を読む→飲食店の他にも、現役時代から50年以上通っていたのは、東京・大田区にある理髪店「文化理髪室」だ。1956年にJR渋谷駅近くにあった「東急文化会館」(現ヒカリエ)内で開業し、入団2〜3年目の時から、大田区に移転しても変わらずに足を運ぶ常連客だ...
記事全文を読む→地元関係者が明かす。「今から45年くらい前ですかね。隣接した土地が更地になったところで、長嶋家がその土地を買ったのです。おそらく投資用だと思うのですが、なにぶん固定資産税も高い。税金対策のためなのか、亜希子さんが畑を作って家庭菜園をしていま...
記事全文を読む→「田園調布長嶋茂雄」と宛名を書いただけで、自宅にファンレターが届いたのは、スーパースターならではだろう。地域住民にも愛される一方、時には“お騒がせ”で頭を下げることもしばしば。かの地でミスターはどんな私生活を送っていたのか。語られなかった暮...
記事全文を読む→読売巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄さんが89歳でこの世を去った。6月8日に桐ヶ谷斎場で行われた葬儀・告別式では王貞治氏(85)、松井秀喜氏(51)ら、長嶋さんと縁のある巨人OBが参列。そこには96年オフに「僕の胸に飛び込んできてほしい」と長嶋...
記事全文を読む→「巨人 VS 国鉄」プロ野球開幕戦・1958年4月5日「ミスタージャイアンツ」とも「ミスタープロ野球」とも呼ばれた長嶋茂雄さん(巨人終身名誉監督)が、さる6月3日、肺炎のため亡くなった。89歳だった。そこで今回は偉大なミスターへの追悼の思い...
記事全文を読む→先の平松氏とは打って変わり、長嶋を不得手にしていたのが、元中日の権藤博氏(86)だ。いまだ破られない492回1/3投球回で沢村賞を戴冠したルーキーイヤーからこっぴどくやられた。あの伝家の宝刀を打ち崩した、天才的打撃センスにアッパレを贈る。「...
記事全文を読む→昭和を彩った大投手の中でも「長嶋キラー」と呼べる筆頭は、元大洋の平松政次氏(77)だろう。いかにミスターを苦しめたかは対戦成績で明らかだが、相対するマウンドは余裕綽々とはいかなかった。むしろ、その内心は畏怖の念を抱くばかりだったようで‥‥。...
記事全文を読む→一塁走者・長嶋茂雄が二塁に突っ走った。三塁走者・王貞治が、捕手から二塁への送球の行方を確認した。そして─。1961年5月18日、後楽園球場での国鉄(現ヤクルト)対巨人の8回戦、21歳の王が1試合で二盗、三盗、そして本盗の3盗塁に成功した。翌...
記事全文を読む→近年は主力選手の相次ぐ他球団流出で、苦戦を強いられてきた西武ライオンズ。ところが新監督が就任した今季は一味違う。昨年は借金15で迎えた交流戦にも、貯金4で突入したのである。借金45という歴史的惨敗の最下位からV字回復を目指す今季の西武。現時...
記事全文を読む→野村はまさに記録の人である。現役通算3017試合出場、通算打率2割7分7厘、2901安打、657本塁打を歴史に刻んだ。54年にテスト生として京都・峰山高から南海に入団。一度は解雇を言い渡されるが、粘り腰で契約延長を勝ち取った。筒井敬三、松井...
記事全文を読む→長嶋はよく「記録よりも記憶の人」と称されるが、実際は記録も凄い。それが霞んで見えるのは、王の記録がそれに輪をかけて凄すぎるからだ。王が入団した59年から長嶋が引退した74年までの16年間、セ・リーグ打撃タイトルを2人でほぼ独占している。「首...
記事全文を読む→長嶋茂雄の野球人生を語る上で、最上位に位置するであろう2人の名前は欠かせない。野村克也と王貞治─。ライバルであり、盟友であった存在が、スーパースターを奮い立たせ、より輝ける高みに押し上げていったのである。1958年9月1日、東京駅頭に夕闇が...
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