長嶋が伝授した奥義は、打撃だけではない。守備でもこだわりを注入した。「松井は高校時代にサードを守っていましたが、プロ入り後は強制的に外野にコンバートされました。『打球がいちばん飛んでくるのはセンター』という持論を持つ長嶋さんは、将来的に大事...
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「高校通算60本塁打」「5打席連続敬遠」と騒がれた超高校級の素材は、巨人軍入りするやマンツーマンで長嶋からみっちりと鍛えられた。いわゆる「4番1000日計画」である。「長嶋さんは松井を『日本最強のバッターに育てる』という使命感に燃えていまし...
記事全文を読む→長嶋が現役引退した74年、のちにMLBで日本人初の大砲として君臨する怪童が産声を上げた。監督復帰した92年オフ、長嶋はドラフトで怪童を引き当てる。奇妙な縁で結ばれた師弟は、終生の絆で結ばれた。2人の血脈は昭和から平成、さらにはその先の未来に...
記事全文を読む→戦後の日本を象徴するスーパースター・長嶋茂雄が逝った。涙雨の降る6月3日早朝、自ら「野球というスポーツは人生そのものだ」と語った通り「やきゅう」89歳の生涯だった。1958年、当時の東京六大学記録である通算8本塁打の実績を引っ提げ立教大から...
記事全文を読む→球審の砂川恵玄が右手を大きく上げた。試合再開の合図だ。足立光宏が打者のいない打席に1球投げた。そこで砂川がプロ野球史上6度目、1950年の2リーグ分立後4度目の「没収試合」を宣告した。1971年7月13日、西宮球場での阪急(現オリックス)対...
記事全文を読む→プロ野球オールスターゲームのファン投票中間発表で、思わぬ事態が発生した。今年は7月23日と24日に京セラドーム大阪と横浜スタジアムで開催されるが、セ・リーグ外野手部門で「ノミネート外」の中日・上林誠知が9万6490票を集め、上位に食い込んで...
記事全文を読む→桑田真澄がテレビのヒーローインタビューに背を向けた。今後、一切の取材を拒否する─。1990年5月8日、横浜スタジアムでの大洋(現DeNA)対巨人3回戦、巨人の先発・桑田が4安打の完封勝利で、チームの連敗を3で止めて首位に押し上げた。打っても...
記事全文を読む→テリーまたちょっと話は変わるんですけど、今年巨人に甲斐(拓也)が入りましたよね。僕はちょっと心配してるんですけど、どう見てますか?江本だって甲斐がいなかったら、他にいいキャッチャーいます?テリーいや。でも去年は甲斐がいなくても巨人は優勝して...
記事全文を読む→テリーこの本を読むと、辛口の江本さんが、長嶋(茂雄)さんのことになると急に大絶賛ですよね。江本あの人は神様ですから。何やっても大丈夫なんですよ(笑)。テリー僕も大好きなんですけど、改めてどういうところが。江本僕が小学校4、5年生で野球を始め...
記事全文を読む→テリー江本さんはピッチャーだから聞きたいんですけど、僕はピッチャーの最盛期って、23歳から25歳だと思ってるんですよ。江本ああ。ある程度はそうでしょうね。テリーそうですよね。そうすると1年休んだ大谷(翔平)が、まあ今年投げるのかわからないで...
記事全文を読む→歯に衣着せぬ発言でプロ野球界に愛のムチを振るい続ける江本氏が話題の新刊「昭和な野球がオモロい! 」を携えて、甘ったれた令和のプロ野球をメッタ斬り!?辛口評論家と知られるエモやんが「神様」と崇拝するスーパースターとは?その名に天才テリーも大納...
記事全文を読む→NHKからおなじみの「スポーツショー行進曲」が流れた。テレビ画面に全国の野球ファンが目をやった。1990年5月12日午後7時20分、カメラは広島市民球場の広島対巨人7回戦のグラウンドを映し出した。視聴者はギョッとした。巨人がちょうど、6回表...
記事全文を読む→5月7日、満員の東京ドーム。ナイター照明に照らされたグラウンドを張り詰めた空気が包み込む中、巨人・高梨雄平がセットポジションから踏み込む。投じられた144キロのストレートは、阪神・中野拓夢の背番号「51」へ、一直線に襲い掛かった。背中に死球...
記事全文を読む→長嶋茂雄が現役を引退した1974年のオフ、日米野球が開催された。来日したのはニューヨーク・メッツで、11月2日に対全日本軍第6戦が後楽園球場で行われた。その試合前に「世紀の対決」が実現していた。日米の本塁打王である、王貞治とハンク・アーロン...
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