少年漫画誌「週刊少年チャンピオン」において、板垣恵介氏原作の漫画「グラップラー刃牙」の連載がスタートしたのは、1991年43号。以後、「第2部 バキ」「第3部 範馬刃牙」などとタイトルを変更して、今も連載を続けるコアなファンに人気の格闘漫画...
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「巨人三本柱」だった、元プロ野球選手の槙原寛己氏と言えば、キレのある豪速球を武器に、少々の荒れ球をものともせぬ攻めの投球だった印象が強い。「巨人三本柱」の世間の評価として、槙原氏は豪快、桑田真澄氏は繊細、斎藤雅樹氏がその中間だったようにも思...
記事全文を読む→巨人軍において背番号「18」といえば、中尾碩志氏(故人)、藤田元司氏(故人)、堀内恒夫氏、桑田真澄氏、杉内俊哉氏と継承されたエースナンバーだ。中尾氏は、1948年に27勝で最多勝を獲得するなど、途中戦争でチームを離れたものの、プロ通算209...
記事全文を読む→巨人軍の歴代監督を振り返ると、「野球の神様」と称された川上哲治氏、「ミスタージャイアンツ」こと長嶋茂雄氏、ホームラン世界記録樹立者の王貞治氏、そして現在の監督・原辰徳氏は、通算勝利数で球団歴代1位になるなど、錚々たる顔ぶれが並ぶが、そんな中...
記事全文を読む→現在、巨人の終身名誉監督を務める長嶋茂雄氏といえば、1959年6月25日、後楽園球場で開催された阪神との天覧試合で、9回裏にサヨナラホームランを放つなど、現役時代のここ一番の勝負強さには定評があった。また、派手な空振りやサードゴロをトンネル...
記事全文を読む→巨人軍の第89代4番打者である岡本和真といえば、2020年と21年には本塁打王と打点王の2冠を獲得。巨人での2年連続2冠は、1977年の王貞治氏以来44年ぶりの快挙なのだが、岡本が4番に就いた18年から、巨人はリーグ優勝が2度あるものの、日...
記事全文を読む→日本初のドーム球場である東京ドームが産声を上げたのは、1988年3月18日のこと。この年、4月8日の開幕戦で、巨人の桑田真澄氏(現、巨人の1軍投手チーフコーチ)が先発でマウンドに上がった縁から、大規模の改修工事を終えた、去る3月1日、報道陣...
記事全文を読む→巨人の専用球場・東京ドームが、過去最大規模の改修を終えたことを受け、去る3月1日、報道陣を対象とした内覧会が開催された。思えば、東京ドームが誕生したのは、1988年3月18日のことで、34年の歳月が流れている。そんな東京ドーム「元年」の、4...
記事全文を読む→プロ野球で昨シーズン3位に終わった巨人を振り返ると、甲子園球場で開催された9月3日、4日、5日の阪神との天王山がキーだったようだ。初戦、2戦目はいずれも巨人が先制しながら阪神に逆転負け。3戦目、主砲・岡本和真のホームランなど、6点リードでよ...
記事全文を読む→元巨人の江川卓氏は、ドラフト会議で1位指名を3度受けた唯一の人物だが、「空白の1日」とも呼ばれた、3度目の1978年ドラフト会議が騒動に発展。1960年代の子供が好きな「巨人・大鵬・卵焼き」をもじり、嫌いなものとして「江川・ピーマン・北の湖...
記事全文を読む→江川卓氏、西本聖氏といえば巨人のエースを座を巡ってライバル関係とされ、「犬猿の仲!?」と、まことしやかに囁かれたこともあった。西本氏は1976年に1軍登録され、88年まで巨人で活躍(89年に中日に移籍)。一方、ルーキーイヤーの79年から引退...
記事全文を読む→元巨人の江川卓氏は、1982年、セ・リーグタイ記録となるシーズン10無四球試合といった隠れた名記録があるのだが、この年、この記録を新たに塗り替える可能性が高かったことをご存じだろうか。同年9月4日、甲子園球場で開催された「阪神─巨人戦」。無...
記事全文を読む→1980年代、昭和終盤の「巨人‐阪神戦」を彩った巨人の江川卓氏と阪神の掛布雅之氏だが、実は江川氏の「お前とオレの勝負が1球で決着ついたらファンは白けるよね」との提案に、「じゃあオレ、1球目は見逃す…」と掛布氏が応じるといった取り決めが成され...
記事全文を読む→「空白の1日」とは、江川卓氏が巨人と電撃的に入団契約を結ぶという、1978年のドラフト会議前日に起きた有名な一連の騒動のこと。そもそも、77年のドラフト会議で、江川氏を1位指名したクラウンライターライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)が、抽選...
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