巨人・阿部慎之助監督が7月2日の阪神戦で退場処分となった。本塁タッチアウトの判定が覆り、NGとされている「リクエスト検証の内容やその理由説明」を求めたからだが、これは「巨人監督の退場は51年ぶり」というニュースでもあった。「阿部監督はリクエ...
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ケガで離脱した岡本和真の穴埋めを期待され、ソフトバンクから巨人に加入したリチャードが、精彩を欠くスイングに終始している。6月28日のイースタンリーグ、ロッテ戦は4番・指名打者として4三振(うち見逃し2回)。翌29日は5番・三塁で打席に立ち、...
記事全文を読む→3連戦のウラで囁かれていたのは「巨人かDeNAのどちらかでは」の声だった。6月29日の巨人×DeNA戦は、赤星優志の好投と継投策で、巨人・阿部慎之助監督に軍配が上がった。巨人目線でこの3連戦を語ると、同一カード3連勝は5月のヤクルト戦以来、...
記事全文を読む→巨人、日本ハム、DeNAで16年間現役を務め、主に中継ぎとして22勝26敗22セーブ99ホールドを挙げた林昌範氏(41)。17年に引退したあとは、父親が社長を務める「船橋中央自動車学校」(千葉県)で新たな人生をスタートさせた。林氏の父親が自...
記事全文を読む→41歳の新人監督・川上哲治が、巨人の野手陣に多摩川球場での練習を命じた。外は横なぐりの激しい雨だった。1961年10月28日、巨人対南海(現ソフトバンク)の日本シリーズ第4戦は、後楽園球場で行われる予定だった。だが、試合は雨天中止。このシリ...
記事全文を読む→200勝まで「あと2勝」が、また遠ざかる結果となった。2軍調整中の巨人・田中将大は6月25日、イースタンリーグDeNA戦に先発登板したが、制球が定まらず。直球の最速は147キロながら、4回2/3で14安打6失点。奪三振はゼロに終わり、移籍後...
記事全文を読む→セ・パ交流戦をはさんでプロ野球はペナントレース再開となるが、その先の日本シリーズの話題で盛り上がるのは、辻発彦氏と上原浩治氏だ。1990年の西武×巨人の舞台裏を明かしたのは辻氏。巨人は槙原寛己、斎藤雅樹、桑田真澄の三本柱を有し、有利と目され...
記事全文を読む→セ・パ交流戦最後の試合となったロッテ×巨人の結果を受けて、4-6で敗北した巨人は6勝11敗1分で、11位フィニッシュとなった。甲斐拓也は2安打を放ったにもかかわらず、ベンチでひとりうつむき、涙をにじませた。これまで控えに回ることが多かった先...
記事全文を読む→「田園調布長嶋茂雄」と宛名を書いただけで、自宅にファンレターが届いたのは、スーパースターならではだろう。地域住民にも愛される一方、時には“お騒がせ”で頭を下げることもしばしば。かの地でミスターはどんな私生活を送っていたのか。語られなかった暮...
記事全文を読む→読売巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄さんが89歳でこの世を去った。6月8日に桐ヶ谷斎場で行われた葬儀・告別式では王貞治氏(85)、松井秀喜氏(51)ら、長嶋さんと縁のある巨人OBが参列。そこには96年オフに「僕の胸に飛び込んできてほしい」と長嶋...
記事全文を読む→「巨人 VS 国鉄」プロ野球開幕戦・1958年4月5日「ミスタージャイアンツ」とも「ミスタープロ野球」とも呼ばれた長嶋茂雄さん(巨人終身名誉監督)が、さる6月3日、肺炎のため亡くなった。89歳だった。そこで今回は偉大なミスターへの追悼の思い...
記事全文を読む→大城卓三の「意地の1発」でノーヒットノーランを阻止した巨人。もしノーノーを喫していれば、2002年8月1日の中日戦(東京ドーム)で川上憲伸から食らって以来、23年ぶり9度目の屈辱となるところだった。日本ハムとの6月19日の試合後、巨人・阿部...
記事全文を読む→プロ野球にも夏風邪のような「急ブレーキ」はある。巨人の「ロマン砲」リチャードは、26歳の誕生日を迎えた6月18日のイースタン・リーグ、ロッテ戦に「4番・DH」として先発出場。4打席連続で空振り三振を喫した。打撃不振にサイン見落としが決定打と...
記事全文を読む→80年10月20日、広島市民球場での最終戦、巨人はAクラスの3位を確保したが、2リーグ体制発足後としては初めて3年連続で優勝を逃した責任を取らされ、翌日、長嶋監督は突然の解任となる。「最終戦、江川さんが先発して7回まで投げて僕は8回、9回と...
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