野村はまさに記録の人である。現役通算3017試合出場、通算打率2割7分7厘、2901安打、657本塁打を歴史に刻んだ。54年にテスト生として京都・峰山高から南海に入団。一度は解雇を言い渡されるが、粘り腰で契約延長を勝ち取った。筒井敬三、松井...
記事全文を読む→長嶋茂雄
長嶋はよく「記録よりも記憶の人」と称されるが、実際は記録も凄い。それが霞んで見えるのは、王の記録がそれに輪をかけて凄すぎるからだ。王が入団した59年から長嶋が引退した74年までの16年間、セ・リーグ打撃タイトルを2人でほぼ独占している。「首...
記事全文を読む→長嶋茂雄の野球人生を語る上で、最上位に位置するであろう2人の名前は欠かせない。野村克也と王貞治─。ライバルであり、盟友であった存在が、スーパースターを奮い立たせ、より輝ける高みに押し上げていったのである。1958年9月1日、東京駅頭に夕闇が...
記事全文を読む→ミスタープロ野球の死に際し、様々な球界OBらが各メディアでその思い出を述懐しているが、阪神・岡田彰布オーナー付顧問のそれは、独特なもの。なんとも「不思議な縁」を明かしたのだった。岡田氏は「週刊ベースボール」誌上でコラム「岡田彰布のそらそうよ...
記事全文を読む→長嶋が伝授した奥義は、打撃だけではない。守備でもこだわりを注入した。「松井は高校時代にサードを守っていましたが、プロ入り後は強制的に外野にコンバートされました。『打球がいちばん飛んでくるのはセンター』という持論を持つ長嶋さんは、将来的に大事...
記事全文を読む→「高校通算60本塁打」「5打席連続敬遠」と騒がれた超高校級の素材は、巨人軍入りするやマンツーマンで長嶋からみっちりと鍛えられた。いわゆる「4番1000日計画」である。「長嶋さんは松井を『日本最強のバッターに育てる』という使命感に燃えていまし...
記事全文を読む→長嶋が現役引退した74年、のちにMLBで日本人初の大砲として君臨する怪童が産声を上げた。監督復帰した92年オフ、長嶋はドラフトで怪童を引き当てる。奇妙な縁で結ばれた師弟は、終生の絆で結ばれた。2人の血脈は昭和から平成、さらにはその先の未来に...
記事全文を読む→戦後の日本を象徴するスーパースター・長嶋茂雄が逝った。涙雨の降る6月3日早朝、自ら「野球というスポーツは人生そのものだ」と語った通り「やきゅう」89歳の生涯だった。1958年、当時の東京六大学記録である通算8本塁打の実績を引っ提げ立教大から...
記事全文を読む→ミスタープロ野球こと長嶋茂雄氏が、天然記念物を飼育していたという話がある。その天然記念物とは韓国原産の犬種のひとつである「珍島犬」だという。三角形の小さな立ち耳を持つ中型犬で、1962年12月3日に韓国の天然記念物53号に指定されている。他...
記事全文を読む→もしも長嶋茂雄さんがAIで「復活」したら――。日本中に絶大な影響を与えた「ミスタープロ野球」の存在と、人工知能という新たな技術が交差する可能性に、関心が集まりつつある。6月3日、読売ジャイアンツ終身名誉監督の長嶋茂雄さんが肺炎で死去した。東...
記事全文を読む→肺炎で亡くなった長嶋茂雄さんが巨人監督時代、一流料理店で「1円天丼」を食べたことがある。今と比べて価格が安いとはいえ、常識的には1円で天丼が出てくるはずはない。しかもその場所というのが、帝国ホテルにあったあの有名料亭「吉兆」だというから驚き...
記事全文を読む→日本列島には巨人軍の長嶋茂雄名誉終身監督を追悼する声が溢れているが、その代名詞といえば、カンピュータだった。データ、セオリーを無視した感性野球といわれるが、第二次政権時の元番記者は、「長嶋さんは時折、カンピュータとあんまりバカにされると、腹...
記事全文を読む→89歳でこの世を去ったミスタープロ野球・長嶋茂雄と皇室の関係は深かった。巨人といえば、ミスターがサヨナラ本塁打を放った、あの天覧試合が思い出されるが、現在の天皇は皇太子時代の1971年、巨人×阪急の日本シリーズを後楽園球場で観戦し、2006...
記事全文を読む→6月3日に世を去ったミスタープロ野球は、海外でもとんでもないエピソードを残していた。昭和58年(1983年)のメジャーリーグ・ワールドシリーズは、オリオールズVSフィリーズだった。巨人の監督を退任し、「浪人中」の身だったミスターは、テレビ解...
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